武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 (画像は永井荷風自身の挿絵と日和下駄の本文の最初の部分)

toumeioj32005-05-25

 武蔵野はわかるが「日和下駄」って何なんだ、という若い友人に向けての解説と弁解。ここ数年の私の生活スタイルを代表するのがお散歩、散策。それもかなりのスピードにのって早足で歩くいわゆるウォーキングというやつ。心拍数を120拍程度に保ち1分間にほぼ100m、10分で1km、1時間で6kmほどを歩く。時速4kmがのんびり歩き、5kmが少し早足、6kmが本当の早足、短足の私の歩き方の目安である。
 散歩しながら感じたこと、考えたことを記述することが多いだろうということなら散策記となるところだが、ちと気取って荷風さんの名作のお題をお借りして、武蔵野の面影の残る一帯を歩くことが多いので武蔵野日和下駄とした次第。
 永井荷風の「日和下駄」は文句なしの大傑作。東京探訪の形をとった生い立ちの記、生い立ちの記の形をとった新東京の都市論、風景論、文明論ともなっている味わい深い随筆集。荷風の小説はそれほど好きではないが、この一編を読んで断然荷風が好きになった。とにかく文章がしみじみとしていてなんともいい。荷風さんの東京に対する姿勢がすきっとしていい、背筋を伸ばした感じ。荷風さんの文章の素晴らしさが余すところなく出ているところを引用しよう。序と題された日和下駄の前書きに眼を通していただきたい。簡潔できりっとしていて美しい名文とはこのような文章のことだろう。

東京市中散歩の記事を集めて『日和下駄』と題す。そのいはれ本文のはじめに述べ置きたれば改めてここには言はず。『日和下駄』は大正三年夏のはじめころよりおよそ一歳あまり、月々雑誌『三田文学』に連載したりしを、この度米刃堂主人のもとめにより改竄して一巻とはなせしなり。ここにかく起稿の年月を明にしたるはこの書板成りて世に出づる頃には、篇中記する所の市内の勝景にして、既に破壊せられて跡方もなきところ尠からざらん事を思へばなり。見ずや木造の今戸橋は蚤くも変じて鉄の釣橋となり、江戸川の岸はせめんとにかためられて再び露草の花を見ず。桜田御門外また芝赤羽橋向の閑地には土木の工事今まさに興らんとするにあらずや。昨日の淵今日の瀬となる夢の世の形見を伝へて、拙きこの小著、幸に後の日のかたり草の種ともならばなれかし。   乙卯の年晩秋    荷風小史