武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 独りだけのウィルダーネス アラスカ・森の生活 リチャード・ブローンネク 古川竣二訳(東京創元社) アラスカの原野に独りだけで過ごす手作り生活日記のすばらしさ

toumeioj32005-06-17

 不思議なことにこの本だけは何時どこで見つけたか、全く覚えていない。気に入っている本の場合、出会いの経過についてよく覚えているのに、この本だけは、入手した経緯が分からない。奥付には90年8月3版とあるので、きっとそのころ購入したものと思う。
 内容はすこぶるシンプル。著者自身によるアラスカの山奥における長期アウトドア滞在記を日記形式で書いたもの。1968年5月から翌69年9月までの記録。著者は1年6ヶ月と本の中で言っているが、そうなのかもしれない。しかし、滞在期間の長さが問題ではない。滞在の仕方がこの本のいわば目玉の部分。アラスカ山脈の中腹、ツインレイクと呼ばれる小さな湖水のほとりに、自分で小さな丸太の小屋を立て、そこで厳冬期をすごし、やがて春を向かえ夏にいたるという話。
 文字通り、自分の衣食住にかかわるすべてを、たった一人で少しも手を抜くことなく、しみじみと楽しそうにやり遂げてゆく完全に自立した中年男の姿、家族にも友達にも誰にも煩わされることなく、独りきりで自足して生きてゆく姿、うらやましいを通り越して、最初は呆然としながら一気に読み通してしまった。ほとんどの人がやりたくてもできない生活をやりとげた男の物語。
 小型飛行機でツインレイクの湖畔に運ばれてから、小屋を作る材料の樹を切り、小屋を立てると決めた場所へ一人で運び、工夫をこらしながら少しずつ丸太小屋を建ててゆく至福の毎日。家を建てるのに3ヶ月。移り変わる周囲の自然を楽しみつつ、著者はいろんなところで住まいの細部にこだわりつつ住み心地のよさそうな小屋を組み立てていく。日記の中には出てこないが、著者を良く知る友人の前書きによると、著者は若い頃アメリカ海軍で営繕係をやっていたことがあるという。そんな経験が生きているのか、周到に生活の仕組みを構築してゆくところが、すこぶる面白い。現代人があきらめた夢の生活、羨望の物語。
 アラスカの動植物に対する素朴な好奇心。カリブー、グリズリー、オオカミ、野鳥達、アラスカの動物達、それらの生き物への接し方に無理な構えがなく野生に近づくと人間の振舞い方がどうなるか、あるべき倫理の原点を示されているような感じ(チトおおげさかな)。必要にして十分な生活、必要な物を必要なときに必要なだけ手に入れ、発生してくるトラブルを過不作なく処理してゆく生活の簡潔な記述。それらの細部がとても面白い。
 やがて、9月下旬には冬が始まり、丹念に準備した著者の住まいに厳しい冬が襲いかかる。気温は零下40度。腹をすかしたクマから小屋を防衛する戦いの緊張感。オオカミの登場。小屋の完成から冬にむかって行く部分は、日記とは思えないほど緊迫感があり、先への興味でぐいぐい読ませる。アラスカの原野の暮らしは、それ自体が冒険なのだ。
 寒さのクライマックスを越えると少しずつ寒さが緩み、冬が遠のき5月になるとアラスカに短い春が訪れる。著者は生活することイコール冒険になるような厳しい自然の中で、むき出しのアラスカの自然を丸ごと体感し克服し、克服の過程をこよなく楽しんで、日記に書き綴っている。人の手が全く入っていない自然の姿が、美しく生き生きととらえられているところも素晴らしい。読んでいて、わくわくするし、とても気持ちがいい。この本は、これからも手元にあり、あと何回か気に入ったページを繰り返しめくることになるに違いない。
(この本については再度書きたいので続きにする。)