武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『少年動物誌』

toumeioj32005-07-28

 1950年頃までこの国に確かに存在した多様性に満ちて猛々しいばかりに豊穣な身近な自然、その中で育った動物学者の少年時代の鮮やかな記憶に取材してなった稀有の傑作短編集。
 1960年代の高度経済成長は、この国の自然を見事に切り崩し押しつぶし、二度と帰らぬ無残な姿に変えてしまった。メダカもクワガタもカブトムシも商品として売り買いされるようになり、野山に生息していた小さな生き物達は、影も姿も見せなくなって久しい。シラサギが絶滅する前に、シラサギが餌にしていた生き物達が減ってしまっていたのである。絶滅の原因はこの生態系の変化にあった。おまけにその小さな生き物達が餌にしていたさらに小さな生き物達もまたいつの間にか消え去ってしまう運命にあった。
 60年を自然破壊の始まりのようにとらえる考え方が多いが、その前触れのような現象が50年頃からすでに始まっていたことに気づいている人も少なくない。敗戦から5年目の50年に始まった朝鮮戦争の影響を受け、戦争特需の波及効果にのってこの国の戦後復興が始まった。50年代の中頃から、この国の農家では少しずつ農薬や化学肥料、農業用機械などを購入、農業の近代化が始まっていた。小川や水田から少しずつ、小さな生き物が減り始めていたことに気づいていた人も少なくなかった。生き物がいなくなることを農薬や化学肥料の目覚しい効き目だと思って、ますます農薬を使う人が増えていった。
 50年代半ばから60年代半ばまでのたった10年の間に、この国の農地とその周辺環境から、生き物が急激に激減する現象が発生した。水の流れがあれば、ひしめくように押し合いへし合いしてうごめいていた小さな不思議な生き物が、真っ先にやられてしまったのがことの始まり。小さな生き物に媒介されて繁栄していた植物性の微生物と、もう少し大きい生き物も死滅の道を辿り始めた。波及効果は甚大だった。しんとして奇妙に静かな水面が、各地に広がるようになるにはそれほど時間はかからなかった。60年代は、始まりつつあった50年代の自然界の傷口を、本格的に押し広げ、回復不可能な仕上げをした時代だった。それにしても、たった10数年、現代の科学技術の影響力は計り知れない程恐ろしい。
 こんな思い出話を前置きに書いたのには、訳がある。60年代以降に生まれ育った人には、この少年動物記のような本は、絶対に書けないと思ったから。少年時代を本当に豊かな自然の中で過ごした人でなければ、こんなに瑞々しい自然の賛歌は書けないという気がするからだ。(明日へ続く)