ヘンリク・ミコワイ・グレツキ作曲、告発の歌ではないが重い意味が込められた現代の交響曲。全編、嘆きと悲しみに浮いたり沈んだりして、たゆたう悲歌のシンフォニーとしか言いようのない、つらい音楽である。作者グレツキは1933年ポーランドのオシェウェンツィム生まれ、このポーランド語の地名を読み替えるとアウシュヴィッツ、ナチの強制収容所があったところ。資料を見ると、アウシュヴィッツの強制収容所建設が開始されたのが1940年、ということは、グレツキ少年7歳の時。
グレツキの評伝は知らないが、この事実が彼の人生に与えた影響は、小さくなかったのではないか。「悲歌のシンフォニー」と呼ばれるこの曲を聴いて、一番気になったのは、まずそのこと。音楽を聴いて、作曲者の伝記的なストーリーを気にする聞き方はどうかと思うが、この事実を知ってしまった以上、気にしないわけにはいかなかった。それほど、この曲は変わっている。
全体は、3楽章で構成されているので、順番に聞いてゆこう。まず第1楽章、コントラバス、チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンの順番に腹に響くような低音で始まり、静かで緩やかな旋律が何十にも重なり音の帯が広がってゆく。私は第2次大戦の大型爆撃機の接近を連想した。分厚くなった合奏が大きく盛り上がり、13分経過した頃に、鐘の音のようなピアノに導かれてソプラノの独唱が入ってくる。
私の愛しい、選ばれた息子よ、
自分の傷を母と分かち合いたまえ。
愛しい息子よ、私はあなたをこの胸のうちにいだき
忠実に仕えてきたではありませんか。
母に話しかけ、喜ばせておくれ。
わたしの愛しい望みよ、あなたはもうわたしのもとを離れようとしているのだから。
〔聖十字架修道院の哀歌、「ウィングラの歌」より、15世紀後半〕
ドーン・アップショウのソプラノが、聖母マリアの悲痛な哀歌を歌い上げる。これが、第1楽章の中間部、盛り上がりの頂点部分、歌が終わると、前半部と対照的に、ゆっくりと弦楽の帯が薄くなり、最後のコントラバスのみの演奏に戻ってゆく。変な例えかもしれないが、富士の裾野から徐々に高まって頂上部分で歌が響き、反対側を同じように下る感じ、とでも言えばいいか。曲調は常に単純なメロディーを何十にも、塗り重ね盛り上がった絵の具のように、重ね合わせて分厚い。
第2楽章は、完全に歌が主体。ソプラノが全編を支配し、悲しい祈りの歌を歌う。歌詞は「チスス、ドイツ秘密警察の本部があったザコパネの「パレス」で、第3独房の第3壁に刻み込まれた祈り。その下に、ヘレナ・ヴァンダ・ブワジュシャクヴナの署名があり、18歳、1944年9月25日より投獄される、と書かれている」とある。独房の壁に刻まれた18歳の娘の祈りの言葉はあまりにも切ない。東欧のマリア信仰の広がりとその深さを、かつての旅行で実感した。祈るしかなかった若い命に黙祷あるのみ。
お母さま、どうか泣かないでください。
天のいと清らかな女王さま、
どうかいつもわたしを助けてくださるよう。
アヴエ・マリア。
かつて、イギリスのラジオでこの楽章が放送され、この演奏が大ヒットしたことがあるという。この歌は何時聞いても、胸に響いてくる。宗教と祈りの意味が、これほどその意義を赤裸々に示すことも珍しいのではないか。この娘さんは、助かったのだろうか、いや、そんなはずはあるまい、と思うと辛くなる。極めて美しく、そして悲しい楽章。
第3楽章、これも悲しみの歌、今度はポーランドのオポーレ地方の民謡。母が歌う亡くなった息子に対する悲しみと祈りの歌、こんな悲しい民謡をもつ地域があることが驚き、民衆にとって相当の心情的根拠があって歌い継がれてきたものだろうが、悲痛な風土というほかない。歌は弦楽合奏をと打楽器のような効果を繰り返すピアノに導かれて、何度も盛り上がり、最後は、優しく美しい終わり方をする。
わたしの愛しい息子は
どこへ行ってしまったの?
きっと蜂起のときに
悪い敵に殺されたのでしょう
人でなしども
後生だから教えて
どうしてわたしの
息子を殺したの
もう決してわたしは
息子に助けてもらうことはできない
たとえどんなに涙を流して
この老いた目を泣きつぶしても
たとえわたしの苦い涙から
もう一つのオドラ川ができたとしても
それでもわたしの息子は
生き返りはしない
息子はどこかで墓に眠っている
でもわたしには、どこだかわからない
いたるところで
人に聞いてまわっても
かわいそうな息子は、どこかの穴で
横たわっているのかもしれない
暖炉のわきの自分の寝床で
眠ることもできたはずなのに
神の小鳥たち、どうか息子のために
さえずってあげて
母親が息子を
見つけられないでいるのだから
歌詞の訳は、沼野充義さん、ポーランド語はさっぱり分からないので、この訳に頼って聴いてきた。全編悲しみの曲は、レクイエムとして長い歴史があるが、これほど深い民族の悲しみの表出は、他に聴いたことがない。深い悲しみには、ひとの心を癒す働きがあることを知った。腹の底からわいてくる爆笑にも、ひとの心を癒す力がある。この悲歌のシンフォニーが若い人たちの癒しの音楽になっていること、肯ける気がした。他にも何種類か、演奏があるようだが、まだ聴いていない。