武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 何歳の頃に初めて「銀河鉄道の夜」を読んだかはっきり思い出せないが、銀河鉄道という題にひかれて面白いかもしれないと、手に取ったのは確か。多分、中学生の頃だったと思うが、つまらないので読むのを止めようとしかけた時、突然、カンパネルラが死んでしまい、死の世界への旅が始まり、眩いほどの死後の銀河の道行きに引き込まれ、震えるようにして最後まで読んでしまったことを今でも忘れない。「空の穴、石炭袋」の底知れない深い宇宙の暗い穴の印象。死の世界に穿たれたこのブラックホールのようなイメージ、子ども心に死の怖さをまざまざと

toumeioj32005-11-10

 そんな死の恐怖の魅惑に染め上げられて暗く輝いていた私の「銀河鉄道」が、ある時読み返して、改定されて全然印象が違ってしまったのに驚いた。どの版を読んでも、改定の理由ははっきりした根拠があり、文句のつけようがないが、私には、「銀河鉄道」が輝きを失ったとしか言いようがない。そのあたりの事情をくどくどとぼやくようにして書いてみよう。昔の「銀河鉄道」を知らない人には、訳が分からないことかもしれないが、確かに、昔は今のと可なり違う「銀河鉄道」があって、昔の子どもの読書体験の中で暗く鈍く輝いていたのだ。
 それでは、「銀河鉄道の夜」を昔のバージョンに戻して読んでみよう。順番に章を追って読んでいきましょう。
 第1章「午後の授業」 理科の授業の場面、先生が銀河と天の川について図版を示しながら教えてくれている。ジョバンニとカンパネルラの登場、二人が仲良しで、ジョバンニが奇妙に疲れていることが示される。物語への導入部、銀河鉄道の、<銀河>が暗示的に示される。二人の関係のギクシャクした感じが提示される。
 第2章「活版所」 ジョバンニは学校が終わっても家に帰らず、活版所でパート労働をする場面、クラスの他の子ども達から浮き上がっている理由になっている、何らかの理由で家計を助けて働いていることが示される。ジョバンニにのしかかっている不幸の匂いが立ち上る。昔は、今のアジアのように自分の遊興のためではなく、家族を助けるために働く子ども達がこの国にもいたのだ。ジョバンニの家は貧しい。
 第3章「家」 ある裏町の小さな家に帰ると、家には病気のお母さんがおり、おねいさんがいるらしいが、ジョバンニはお母さんと二人暮し、二人の会話に不在の父親の話と、一家が今より幸せだった以前のことが出てくる。この章の中で、後で出てくる銀河鉄道を導く、ささやかな伏線出てくるので、引用してみよう。

「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐がすっかり煤けたよ。」

 おそらく、この会話の残響が、この後の銀河鉄道の連想の核になったものと思われる。そして、お母さんに断って、今晩の牛乳を取りに行くお手伝いを兼ねて、「銀河のお祭り」を見にジョバンニは家を出る。
 第4章「ケンタウル祭の夜」 この章で、同級生の子ども達と街で出会うが、ジョバンニは完全に仲間はずれになっている様子が、描かれる。子ども達から残酷にからかわれいじめられるジョバンニ、その中にかつての親友、カンパネルラがいることがなんとも残酷で厳しい。リアルな子ども世界の描写。この章でも、二箇所、銀河への旅を暗示する伏線が出てくる。巧妙に銀河への導入が施される。引用してみよう。

(ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配だから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越す。そうら、こんどはぼくの影法師はコムパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ来た。)

時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のようにゆっくり循ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
 ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形のなかにめぐってあらわれるようになって居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげているように見えるのでした。またそのうしろには三本の脚のついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたしいちばんうしろの壁には空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうにこんなような蝎だの勇士だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思ってたりしてしばらくぼんやり立って居ました。

 前の丸括弧の引用は、ジョバンニの内心の動き、子どもがよくやる空想、二つ目の引用は街の時計屋のシーン、強い星空への導入効果を発揮している。だが、ここまでのところ、記述は導入の域を超えず、可なり退屈、子ども心に飽きてしまって、読むのを止めようかなと思ったことを覚えている。ここまでは、正直言って、面白くなかった。
第5章「天気輪の柱」 この章が、問題の章、同級生の子ども達のイジメから逃れるようにして「黒い丘」を上ってゆくジョバンニ、この黒い丘の描写から、急に幻想性が増し、物語は透明感のある賢次独特の世界が開ける。子ども心にお化け屋敷の扉を開いたようなワクワした感じを受けたような気がする。引用してみよう。

ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜のあかりのようだとも思いました。
 そのまっ黒な、松や楢の林を越えると、俄かにがらんと空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亘っているのが見え、また頂の、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢の中からでも薫りだしたというように咲き、鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
 ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
 町の灯は、暗の中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗でぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
 そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。

 この後に5枚分原稿欠けている、とされていて、そこに今ではこの物語の最後に来る部分が、嵌め込まれていたので、読者はここではっきりとカンパネルラがおぼれて死んだことを知るようになっていた。その部分を、ここにいれて読んでみよう。挿入部分を全文引用する。現在の銀河鉄道の物語といかに違うか、お分かりいただけよう。

ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれていました。
  ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴ってはいましたがその光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。そしてたったいま夢であるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊にけむったようになってその右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。
 ジョバンニは一さんに丘を走って下りました。まだ夕ごはんをたべないで待っているお母さんのことが胸いっぱいに思いだされたのです。どんどん黒い松の林の中を通ってそれからほの白い牧場の柵をまわってさっきの入口から暗い牛舎の前へまた来ました。そこには誰かがいま帰ったらしくさっきなかった一つの車が何かの樽を二つ乗っけて置いてありました。
「今晩は、」ジョバンニは叫びました。
「はい。」白い太いずぼんをはいた人がすぐ出て来て立ちました。
「何のご用ですか。」
「今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」
「あ済みませんでした。」その人はすぐ奥へ行って一本の牛乳瓶をもって来てジョバンニに渡しながらまた云いました。
「ほんとうに、済みませんでした。今日はひるすぎうっかりしてこうしの棚をあけて置いたもんですから大将早速親牛のところへ行って半分ばかり呑んでしまいましてね……」その人はわらいました。
「そうですか。ではいただいて行きます。」
「ええ、どうも済みませんでした。」
「いいえ。」
 ジョバンニはまだ熱い乳の瓶を両方のてのひらで包むようにもって牧場の柵を出ました。
 そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になってその右手の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。
 ところがその十字になった町かどや店の前に女たちが七八人ぐらいずつ集って橋の方を見ながら何かひそひそ談しているのです。それから橋の上にもいろいろなあかりがいっぱいなのでした。
 ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったように思いました。そしていきなり近くの人たちへ
「何かあったんですか。」と叫ぶようにききました。
「こどもが水へ落ちたんですよ。」一人が云いますとその人たちは一斉にジョバンニの方を見ました。ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。橋の上は人でいっぱいで河が見えませんでした。白い服を着た巡査も出ていました。
 ジョバンニは橋の袂から飛ぶように下の広い河原へおりました。
 その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせわしくのぼったり下ったりしていました。向う岸の暗いどてにも火が七つ八つうごいていました。そのまん中をもう烏瓜のあかりもない川が、わずかに音をたてて灰いろにしずかに流れていたのでした。
 河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立っていました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。するとジョバンニはいきなりさっきカムパネルラといっしょだったマルソに会いました。マルソがジョバンニに走り寄ってきました。
「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」
「どうして、いつ。」
「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」
「みんな探してるんだろう。」
「ああすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附からないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」
 ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめていたのです。
 みんなもじっと河を見ていました。誰も一言も物を云う人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。
 下流の方は川はば一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのままのそらのように見えました。
 ジョバンニはそのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいないというような気がしてしかたなかったのです。
けれどもみんなはまだ、どこかの波の間から、
「ぼくずいぶん泳いだぞ。」と云いながらカムパネルラが出て来るか或いはカムパネルラがどこかの人の知らない洲にでも着いて立っていて誰かの来るのを待っているかというような気がして仕方ないらしいのでした。けれども俄かにカムパネルラのお父さんがきっぱり云いました。
「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
 ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っていますぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのですと云おうとしましたがもうのどがつまって何とも云えませんでした。すると博士はジョバンニが挨拶に来たとでも思ったものですか、しばらくしげしげジョバンニを見ていましたが
「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがとう。」と叮ねいに云いました。
 ジョバンニは何も云えずにただおじぎをしました。
「あなたのお父さんはもう帰っていますか。」博士は堅く時計を握ったまままたききました。
「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。
「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」
 そう云いながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。
ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走りました。

 今ではこの物語の最後に来るこの部分を、第5章の天気輪の柱のところで読むという構成。そして、この部分に続くのが、以下の文章。物語の印象がすっかり変わってしまうことに気づいていただけたでしょうか。

ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。

 つながりの悪さは、原稿が欠けているせいにされていたので、このまま無理やり先へと読みすすむとどうなるか。「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」の世界。完全にカンパネルラが死んでしまった、悲しみの世界。黒い丘に戻ったジョバンニが訪れる銀河の世界は、明瞭な死の世界となって展開することがお分かりいただけることと思う。
 読書体験にとって初読は特別、二度読み、三度読みにない一寸先が分からないで手探りで進む読書の醍醐味のほとんどがそこにある。ミステリーを読む時を考えてみて欲しい。さて、明確に、最初から銀河鉄道の世界を<死の世界>と知って初めて読むとどうなるか。あまり子どもには薦められない不健全な幻想の世界が展開することとなる。詳細は、次回に。