武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『脳と仮想』茂木健一郎著(発行新潮社)

toumeioj32005-12-15

 人間の脳を巡る話題には、あまり詳しく知りたくないという気持ちと知らずには済まされないという気持ちが拮抗し、ドキドキしたりワクワクしたりする。これまで何冊かアリ地獄を覗き込むアリになったような気持ちで脳の機能と構造や認知についての本を手に取ってきた。この本も新進気鋭の若者に人気の脳科学者の本だと言うことだったので読みだした。
 導入部分は、抜群に上手い。「ねえ、サンタさんていると思う?」小さな女の子にこう聞かれて、どう答えられるか、その人の大人としての見識が問われる、最高の質問ではないか。この問いかけに答えるために1冊の本が必要となるという姿勢は、すれてしまった私の気持ちをグラリと揺さぶる。茂木さんは人の気持ちをひきつける術を十分に心得ている人のようだ。
 結論から先に言うと、私はこの本で展開されている「仮想」という考え方にはそんなに関心しなかった。これまでも文芸評論などで「仮構」「フィクション」などなど様々な言葉で語られてきた考え方からそれほど抜け出ているとは思わなかったからだ。むしろ、著者がその前に提起している脳が外界を受け止めるときの「クオリア」という考え方の方が面白いと思った。数量化できない微妙な物質の質感のことをクオリアといって問題にしているようだが、この発想は素晴らしい。クオリアの追求から何が獲れるか、興味がつきない。
 とは言うものの、この「脳と仮想」と言う本、とても読みやすい。読みやすいだけでなく、とても分かりやすい。豊富な引用と沢山の具体例で、分かりにくくなりそうな話題を分かりやすく取り上げていて、興味深く一気に読める。第7章の「思い出せない記憶」の章など、私にとっては考えさせられるところが多かった。
 読み終わって感じたことだが、この著者は、ほとんど誰も批判しない。本質的な批判は、学問や芸術が新しく自己を展開する重要な契機だと思ってきたが、この人はそうではないらしい。どこかで聞いたような話が多く画期的に新しいという感じがしないのはそのためなのだろうか。これまで揺るがない権威とされてきた考え方を根底からひっくり返すと言うようなギラギラした人ではないようだ。
 この人のクオリア論をもう少し読み込んでみたいと思った。