武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『山谷崖っぷち日記』大山史朗著(角川文庫)

toumeioj32006-01-26

 格差社会をテーマにした本が多数出版されており、一種の下流化することへの恐怖感が、日常性の衣装をまとったオカルト物のように、人々の関心を呼んでいるようだが、下流に落ちて下層社会に暮らすことの不思議な落ち着きと気楽さを、実践したものにしか描けない細密描写で描き出した変った本を読んだ。落ちるしかないなら、落ちてもいいじゃないかという心境にしてくれる不思議な魅力を持つ本。一気に読んだ。
 作者が山谷にたどり着くまでの、社会生活を総括して「職業生活への過剰な適応意欲」とその結果としての「心身症とも言うべき心身の変調」により、ことごとく失敗を繰り返してきたとまとめている。1947年生まれで69年に大学の経済学部を卒業、サラリーマンになるが続かず転職を繰り返すとある。87年から山谷で労務者生活に入り、現在に至るという。山谷に来るまでの20年近く、相当に多難な人生だったと思うが、その点についてはほとんど記述がない。「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」と結論付けている。面白い人がいるものだ。
 本書の内容のほとんどは山谷での暮らしと、労務者生活を題材にした山谷で暮らす人々の人間観察記録。ていねいできちんとした抑制のきいた文体で、淡々と綴られる山谷暮らしの記述が、生き生きとしていて素晴らしい。これを文学と言うなら、これこそ私小説を読む醍醐味だと言いたくなる。自分に向ける批評的な視線も厳しいが、山谷で暮らす人々やホームレス、路上生活者などにそそぐ視線もなかなかのもの、鋭い観察眼が鮮やかに山谷に暮らす人間群像を浮かび上がらせて見事。
 山谷もやはり一つの社会、いろいろな人が互いに影響しあいながら暮らしており、一つの会社社会やどこかの地域社会の縮図を見るような趣がある。このような、自己肯定の道があったかと、感心してしまった。きわどいバランスだがこれも人生と言う気がしてくる。
 大人が読んでも面白いが、学生や青年期の方々が読むと人生を見る見方に奥行きが出てくるかもしれない。単行本の後書きとして、開高健賞を受賞してしまったことを受けて「可能な限り淡く薄い関心とともにこの生活記録が読まれ、可能な限り早く忘れ去られることを願っている。」書いている。この韜晦の姿勢は、相当に年季が入ったしたたかさに違いない。かすかに苦い人生読本、若い人にお薦め。