武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『アントニオ・マルケス舞踏団』公演 印象記

toumeioj32006-10-09

 昨夜、所沢ミューズのマーキーホールで、アントニオ・マルケス舞踏団の公演を見た。スペイン国立バレイ団のトップから華麗にフラメンコダンサーに転進したというふれ込み通り、民族舞踏としてのフラメンコの型を取り入れながら、表現の幅はフラメンコをはるかに凌駕するステージで、総勢20人足らずのグループ表現とマルケスのパフォーマンスに圧倒された。
 スペインを旅行した折、何度かフラメンコのステージを見たことがあるが、すでに完成しつくしたフラメンコのステージには、音楽とダンスがかっちりとフラメンコ的な枠組みの中で固定化して、限りない繰り返しのなかで退廃し、衰退のふちに止まる芸事の爛れるような憂鬱が滲み出ようで、見ていて辛かった。観光客が、これぞフラメンコという典型を期待する中で、ダンサー達は諦めと怒りを混ぜ合わせたような表情で、汗を滲ませながら踊り狂っているように見えた。スペインでフラメンコのショーを見るのはもういいかなという気がしたものだった。
 だが、はるばる世界各地を公演しているマルケスの舞踏団の公演には、フラメンコの伝統を突き抜けたような圧倒的な表現力があった。フラメンコには独特の見栄を張るような決めのポーズがあるが、その一瞬のポーズがダンスの句読点となってダンスに躍動と停止の型を与えていて、素晴らしく切れ味のいい印象となって迫ってくる。男女それぞれ8名ほどのグループの展開も、フラメンコでありながら、グループ表現の力で、フラメンコの枠から大きくあふれ出す表現となっていた。
 プログラムは、前半が「続カルメン」と題された、歌劇カルメンの場面をマルケスのダンスを軸に、生前の妖艶なカルメンと死後の不気味なカルメンが鮮やかな対比のもとに踊りまわるというもの。カルメンの死を境に悲嘆に悶え苦しむエスカミーリョを演じたマルケスの見事な演技力に息を呑む。カルメンを舞う二人のダンサーのエロチックなこと、フラメンコ本来のエロチシズムが零れ落ちるような踊りだった。
 後半は、「はかない人生」と「ボレロ」。「はかない人生」の歌とダンスの組み合わせの哀愁も良かったが、やはり「ボレロ」のほうが圧倒的。モダンバレーのボレロの表現にフラメンコの薬味をきかせた感じといえばいいか、グループ表現の組み合わせを何度も変えながら、マルケスの舞踏を軸にクライマックスに向けて盛り上げていく組み立てはなかなかのもの。
 最後に、観客の拍手に答えて見せたマルケスのステップの表現力の凄さ、マルケスあっての舞踏団だということが胸に刻まれる。マルケスのパフォーマンスを堪能した一夜だった。