武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 パリ美術館巡り印象記

 先週、1週間ほど、あるツアーに参加して、パリへ美術館巡りに行ってきた。自由になる時間があり訪問できた美術館の数は多くはないが、積年の夢をかなえる旅だっただけに、少なからぬ印象を刻む旅となった。記憶に留める一助に印象を書きとめておく。
 まず、美術館めぐり全体の印象から、満ち足りた思いを残したのは勿論だが、第一印象は、何といっても参観者に撮影を自由に認めていたこと、これは最近のことらしいが、観光客は作品の鑑賞はそっちのけで、名画名品の前で記念撮影の混雑、お国柄なのか監視員の警備体制もゆるく、禁止のはずのフラッシュ撮影も随所で、絵の前の鑑賞は記念撮影の邪魔者あつかいされる始末。早晩、撮影禁止に戻されることとは思うが、パリの美術館の撮影規制の緩和は、感じの好いものではなかった。
 実物を自分の肉眼で、遮るものなしに直に凝視すること、どんな細部に集中しても、一切ぼやけることなくクリアに見取り納得できるまで見られる醍醐味、本物の寸分の違いもない大きさと質感、これを見ないで何を鑑賞できると言うのだろうか。撮影規制の自由は、大衆に迎合した文化政策の大きな過ちだと感じた。これさえなければ、パリの印象は、もっとよくなったに違いない。

 訪問した美術館は、以下の通り。
 最初に、定番のルーヴル美術館、国王の宮殿を美術館にしたものだが、何と豪勢な宮殿だったことか、民衆の富を収奪した上に築かれたこのような豪奢は、血塗られた革命を引き寄せることが必然だったと納得させられるような建物、勿論、収蔵され展示されている作品も凄いが、建物の内装もまた凄い、世界の美術史に名を刻む名品が、無造作に並ぶ姿に圧倒されっ放し。観光客の記念撮影で落ち着いて鑑賞しづらいが、シャッターを押したくなる気持ちも分かる気がする。ここは、単なる観光名所以外の何者でもなくなっていた。 (画像は広大なルーヴル美術館の中庭、学校の運動場より広い)
 次に行ったのは、オルセー美術館。ガイドによれば、1848年から1914年までに製作された作品を展示しているとか。ここも建物が立派、元はパリの駅舎だったとか、蒸気機関車の時代らしく、高い屋根の下を地上階、中階、上階の3層に分けてたっぷりゆとりのある空間に展示、特別展示とあわせて、近代美術の宝庫というべき内容。ルーブルほど広くないのでまとまりよく見易い。モネの作品展示に強い印象を受けた。

 ポンピドー芸術文化センターの5,6,7階をしめる国立近代美術館は、20世紀から現代までをカバーする美術館、ガイドによれば5万点に及ぶ収蔵作品の一部しか展示できていないらしい。懐かしいような作品から、時の経過とともに何故かすでに古びたような感じを受けた。新しいことをことさらに狙ったとは思わないが、新しいものの古びる早さを痛感した。現代は美術にとって過酷な時代なのかもしれない。 (ポンピドーセンターで写した一枚、視線がクラリと幻惑されるような不思議な作品)
 モネの睡蓮連作が見られるので、オランジェリー美術館へ行った。睡蓮の連作は、特別室2部屋を占めて見事な空間を作り出していた。多くの人が、部屋の中央に設えられた腰掛にすわり、じっくり豪奢な時間を堪能していた。ここも撮影自由だが、絵が大きすぎて記念撮影する人はそんなに多くない。一番落ち着いて鑑賞できた。
 最後に、パリ市内のどの美術館も18歳未満の青少年は、入場無料。これは素晴らしい教育的配慮だ、美術的な感性は、おそらく18歳未満のうちに形成されるはず、貧しくとも才能があってその気がある青少年に無料で解放されていることはなんとも有難い。これは是非見習いたい。