武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『紙芝居昭和史』 加太こうじ著 (発行旺文社文庫1979/10)

 今は亡き父や母は紙芝居を嫌っていたようだが、私は好きだった。近所に紙芝居屋さんが来ると、商売の駄菓子を買う小遣いをもらえない私は、皆から少し離れて紙芝居を見ていた。聞き取りにくいので耳を澄まして、集中力を尖らせて必死でストーリーを追い絵に目を凝らした。小学校に入学する前後の遠い昔の思い出。
 テレビ放送が始まってもしばらく続いていたように記憶しているが、そんな紙芝居屋もいつの間にか見なくなった。貸本屋は、至る所にあったので高校生の頃までずいぶんお世話になった。その貸本屋もいつの間にか見なくなった。東京で学生生活を送るようになったことと、急激な時代の変化で、消えていったものの記憶がプツンと途切れたままになっている。うまく幕が閉まらない感じがしてもどかしい。
 本書はこれも今はなき旺文社文庫からの1冊、紙芝居の製作に作者としてかかわった職歴の持ち主、加太こうじさんの現場からの紙芝居の昭和史。体験談を軸にしたものなので、外部からの歴史家による客観的な紙芝居史と違う内側からのルポ、とてもリアル感があり引きつける。貴重な図版や写真も挿入されていて、古い時代が鮮やかに浮かび上がってくる。
 作者としての立場からの創意と工夫に満ちた紙芝居の製作現場のエピソード、全国展開する娯楽ビジネスとしての商売上の苦労と成功のエピソード。繁盛していた紙芝居の裏には、当時の紙芝居にかかわった人々の多様な悲喜劇があったことが分かり、非常に懐かしく面白かった。
 そして、昭和史にかかわると決して外すことのできない15年戦争との関わり、紙芝居も同じように戦争協力への道を歩むようになる過程が、やはり何とも重い。続く戦後の復興。最盛期には、全国で紙芝居屋が5万人、東京だけで3千人いたという。東京だけで紙芝居を製作する画家が100人、1日に1500枚もの絵を描いていたというから凄い。相当の娯楽産業の一端を担っていたことがよくわかる。
 紙芝居の絵作者から、貸本マンガ家となり、劇画家転身してゆく、著名な漫画家たちのエピソードも興味深い。紙芝居で培った表現力や構成力が、形を変えてストーリーマンガの世界につながっていったこと、この文化的な継承関係は、あまり発掘がすすんでいないような気がして、参考になった。
 本書には、鶴見俊輔氏の友情に満ちた、わかりやすい解説文が付いているが、これも大衆文化に造詣が深かった氏ならではの好エッセイ、一緒に合わせて読みたい。
 この旺文社版は今はないが、岩波の現代文庫に同じものがあるらしいので、興味のある方はそちらが入手しやすいだろう。紙芝居にかかわった人々のエピソード満載の内部からのルポなので、とても面白く紙芝居に興味のない方にも歴史読み物としてお勧めしたい。
 最後に旺文社版の目次を引用しておこう。

まえがき
紙芝居との出合い(小野照崎神社/『西遊記孫悟空』/東京写絵業組合)
世界経済恐慌
黄金バット(『黒バット』/テキヤシステム/話の日本社)
レコードとラジオ(満州事変/『祖国を護れ』)
昭和七年(荒川区三河島/紙芝居製作所/鈴木一郎)
庶民芸術と怨念(『黄金バット』/プロレタリア美術運動/教師・翠川涼/山川惣治/『ハカバキタロー』/エロ・グロ物)
紙芝居の確立(『天誅蜘蛛』/タクヅケ/太平洋美術学校)
日本画劇株式会社(昭和十年頃/会社設立)
紙芝居の青春(『雨のブルース』/ミルクホール)
軍国紙芝居と赤マント(印刷紙芝居/紙芝居コンクール/三河島報告詩)
画劇会社争議
画劇会社炎上(大政翼賛会南満州鉄道東京大空襲/正ちゃん会)
焼跡の雑草(ともだち会/焼跡ヤミ市/新日本国劇社)
GHQと紙芝居(作家画家組合/『人民の旗』)
第二建設期(冒険活劇文庫/伊藤和子
関東と関西
税金騒動
相馬泰三と子どもを守る会(相馬泰三/作品コンクール)
両家群往来(凡天太郎水木しげる白土三平小島剛夕
紙芝居の死
あとがき
紙芝居の作り方・演じ方
解説(鶴見俊輔