武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『中国の植物学者の娘たち』 監督/脚本:ダイ・シージエ (2005年カナダ/フランス映画)


 90年代の中国を舞台に、若い女性二人の同性愛を主題にした耽美的な悲劇の恋愛ドラマ、背後に流れる音楽と、ドラマの舞台となる湖に浮かぶ孤島の蒸せるような南国的な美しさに、思わず画面に引き込まれてしまった。映像と音楽と見終わった後の悲哀に満ちた余韻が心地よかったので紹介したい。
 孤島の植物園を管理する高名な植物学者の元に、両親を76年の唐山地震で失い孤児となり孤児院で育った女子学生ミンが実習生としてやってくる。実習生ミンは到着に遅刻したり、薬草を毒草と間違えたりして、厳格な植物学者に厳しく怒鳴られ孤児院へ帰ろうとするところを、植物学者の娘アンに慰められて、島の植物園の実習を続けることになる。
 余談になるが私には、ミンが犯した失敗が、ミンの性格故のものなのか、それとも単なるケアレスミスなのか、最後まで疑問のまま残っておさまりがつかなくて困った。一言の謝罪の言葉もなく立ちすくむミンの演技とともに気になった。
 植物学者の娘アンは、10歳で母親を亡くし厳格な父に育てられ、孤独で寂しい生活を送ってきており、二人は互いの似たような境遇に共感を覚え、たちまち大の仲良しになる。やがて植物園の温室でアンが孤独を癒す習慣としてきた幻覚を誘発する薬草サウナをきっかけに、互いの美しさにもどうしようもなく惹かれ合うようになる。
 仲のよい親密さの中から、次第にエロチックな歓喜に触れ、一気に同性愛へと高まっていく、孤独な若い二人の心のふるえが何とも美しくもあり痛ましくもある。私は、素直に美しい映像と情感豊かな音楽の流れを楽しんだ。二人の女優さんの若さあふれる輝きは十分に美しくそれだけでも鑑賞するに値する。
 植物学者の軍人の息子が一時帰郷してきたところから、二人の関係を続けるために立てた計略が仇となり、二人の道ならぬ恋が植物学者に発覚して物語は急転直下、悲劇的な破局を迎えることになる。
 ストーリーはいたって単純、この映画の見所は、背景となっている南方アジア的な風景のしっとりとした美しさと、若い二人の孤独に彩られた表情と肢体のなんとも伸びやかな美しさ、この二つをつなぎ合わせている物悲しい渺々とした伝統楽器による音楽の調べ。厳格な植物学者を中国の政治体制の暗喩として捉えたり、若い二人を自由を求める中国の若者達の比喩として捉えたりするよりも、単純に映画の美しさを愛でる方が、この映画の見方にふさわしい。
 節度のあるエロチシズム表現ながら、それなりにきわどいシーンが何カ所かあるので、緩やかな成人向け映画といえようか。美しい映像に浸るのがお好きな方にお勧めしたい。