武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「裁判官の書斎」4部作のお勧め―異色裁判官、倉田卓次氏のご逝去を悼んで

先月の30日に亡くなられた元東京高裁判事倉田卓次氏の随筆集、「裁判官の書斎」シリーズの愛読者として、司法界から生まれた希有の読書家にして、卓越した文筆家であった故人の遺徳をしのび、数ある著作の一端をご紹介してみたい。

『裁判官の書斎』(勁草書房1985/6)あとがきの冒頭に「これは私の裁判官時代の雑文集である」と記されている。全四部構成の1部はエッセイ風の漫文、2部は佐賀地家裁所長に時代の随想、3部は親しかった元裁判官の追悼文、4部は裁判官になる前の回想エッセイと著者解説されている。どれを読んでも達意の平易な日本語で、具体的で豊富な例証を思いがけない領域から引いてきて並べ、巧みに結論へと導いてゆく手並みは、さすが判決文を書き慣れた元裁判官、見事というほかない。司法関係者特有の文章のわかりにくさは欠片もない。
読書随筆に分類される文章がならぶ1部が一番面白いが、2章の随筆も思いがけない視点からの過不足ない展開に頷かされるところが多かった。3部の追悼文に伺われる著者の温かい人柄、4部における半年間の国会図書館におけるリファレンス講座体験などなど、納得の名文がずらり。多くの識者に名随筆集と讃えられてきたのも、よく分かる。
変化球を多用するスタイルではなく、重みのある直球を、力を抜いて投げ込んでくるという感じだろうか。私は、この著者が本のことに触れるのを読むと、これまで何を読んできたんだろうかと、我を疑いたくなることがあり、チト狼狽してしまったりする。こんなに学ぶことが多いと感じる読書は久しぶり。前にも書いたが、倉田卓次氏の文章を読むとクセになる。
目次を引用しておこう。


正義の女神の目隠し
地獄への道
済度?sight?
ラ・ロシュフコーの裁判者観
推理小説と私
SFないない尽くし
五十の手習い
本を読む場所
漱石『猫』の中の一行について
魔睡考
誤訳談義
カイヨー夫人之獄(旧刊紹介)
玉乃世履異聞

旅の出来事
私の健康法
お上の事にも間違いはある
新春読書偶感
樟か楠か
憲法記念日に思う
検察官の不起訴権限
裁判のイメージ
アルファベット文化と裁判実務
来る者はなお追うべし

二つの言葉―田辺公ニ追想
戸山町官舎の隣人―井口浩二追想
生涯一書生―岡垣勳追想
三淵さんの思い出―三淵嘉子追想

国会図書館にいたころ
第一回模擬裁のころ
想い出の美少年―遠藤麟一朗追想
あとがき


『続裁判官の書斎』(勁草書房1990/9)この裁判官の書斎シリーズに惹かれる理由の一つに、そのすべてが裁判官退職後の60歳を過ぎてからの刊行ということがある。裁判官の書斎が63歳の時、本書が68歳の時、次の続々が70歳、続々続が73歳、元裁判官が85歳の時と、すべてが定年退職後の業績だからである。この著者のように、退職後を有意義に過ごされた裁判官も珍しいのではないか。若いときからの蓄積があるとはいえ、大変な研鑽に頭が下がる。
さて、本書の内容であるが断然読書随筆が多くなるのが嬉しい。本書のほぼ半分を占める1部と2部の内容は、読書と本についてのエッセイ、SFからミステリィ古今東西へと幅広く奥深く、本のことを語る著者の筆は如何にも愉しそう、内容の核心を掘り起こし、面白さのポイントを掬いあげて倦むことがない。まだ未読の本は読みたくなり、既読の本は読み返したくなる。3部は裁判関連の随想、4部は本の解説や跋文、5部は法曹界の知人の追悼文、法律の専門的な話になりそうなところは跳ばして読んだ(笑)。


頭休めに本を読め―学生諸君へのアドヴァイス―
<古典を読もう>
日本法律史話
運命
黄金の壺
鋼鉄都市
裁かれる裁判所上・下
<目耕余禄―こんな本あんな本>
メガホンの講義
明治波濤歌上・下
人は死ねばゴミになる―私のガンとの闘い
明治人物閑話
進化した猿たち全三巻
木馬と石牛
現代日本法の構図
悪魔の辞典
ルバイヤット
論駁?・?・?
竜の卵
訴訟と民主主義
推定無罪―プリジュームド・イノセント上・下
民事法の諸問題
清唱千首
現代日本の超克
PAWERS OB TEN(パワーズ・オブ・テン)
随筆家列伝

本を汚して読むことなど
私の読書法
水滸伝―諸訳読み比べ―
菜根譚<比べ読みの話1>
論語<比べ読みの話2>
続・誤訳談義―ラ・ロシュフコー箴言集の諸訳本<比べ読みの話3>

民訴的野球談義
民事裁判官の生活と意見―ある大学生との対話―
裁判からみた教師像
教室の外こそ学びの場
条文の記憶法
ワープロを買った話
別荘が増築できるようになるまで
裁判官の国語力は中学生並か―給付判決主文の用語をめぐって―
去来落柿舎の逸事
掃苔の癖
健全な制度を目指せ
私にとっての天皇

民事法の諸問題?「はしがき」
『民事判例実務研究』第2巻序文
『民事判例実務研究』第5巻序文
判例コンメンタール民事訴訟法』の意義
随想集『あの日あの時』序文
知られざる蕪山君の明治法制史研究
『裁判今昔』という本
『マスコミ事件始末記』を読む
石原藤夫さんと私
『SFキイ・パーソン&キイ・ブック』を読んで

楠本安雄君の損害賠償論―文は人なり
天性の人間好き―鈴木潔判事を偲んで―
村松先生の民訴論文
岡垣さんの思い出
あとがき


『続々裁判官の書斎』(勁草書房1992/1)あとがきを読むと、著者は70歳で公証人を定年退職されるのを記念して、本書を刊行したある。二度目の定年退職までさらに頑張られたと知り、頭が下がる。
さて、本書の内容だが、1部は私の期待する書評と読書随筆、今回は半分弱であるが期待通り面白い。当たり前のことだが、この著者とあまりにも教養の広さと深さのレベルが違うので、読む進むにつれて視野が広がり、未読の本はどうしても手にしたくなり、抑制がきかなくなってしまう。
それにしても、どんな些細なことでも、意見として主張するときのこの著者の例証による立証癖にはほとほと感心する。裁判官として身につけた豊かな資質の一部だろうが、見習いたいがとても無理。
5部には、これまでに収録されていなかった対談が2本初めて載っている。どんな感じの話し方をする人だったのか、とても良い手掛かりとなり、嬉しい読み物だった。
書評や読書以外の随想を読んでも、いつも何は頷くところ、読んで良かったと思うところがあり、拾い読みしても通読しても、得るところがある。


<目耕余禄>
唐宋伝奇集
日本語の作文技術
情報の歴史
ブリューゲル・さかさまの世界
ささなみのおきな
ディートリッヒのABC
「甘え」と社会科学
軽い機敏な仔猫何匹いるか
基礎日本語辞典
冠詞(全三冊)
物理の散歩道(全五冊)
随想集 ピモダン館
とらんぷ譚 真珠母の匣
登記と法と社会生活―「法律風土」日米較差の根源上巻
書物の森を散歩する
 銀河にひそむモンスター
 大いなる天上の河
 光の潮流
 SF全短編
 南方マンダラ
 酉陽雑俎
 聊斎志異
ルビ文学
 ルビの功罪
 ルビの再評価
 柴田天馬訳『聊斎志異
 竹内実訳『中国愛誦詩選』

交通遺児育英会20周年に想う
地裁に医事訴訟専門部を
裁判官という職業―若い女性からの合格通知を祝って―
民事裁判実務の昨今
裁判官の公と私

二人称としての先生
法曹四者の夢
Notary PublicからNotaryへ
Living Will(生前発効遺言)

寮佐吉先生の思い出
落第
十年前の明士会パーティ
能逐其終
弁護士・山田○之助

『乱帙録』あとがき
『法服を脱いでから』序文
『ことわざから科学へ』あとがき

ことばの歳時記「法律と裁判のことば」
対談・古代史学と証明責任
あとがき


『続々々裁判官の書斎』(勁草書房1995/7)あとがきが「いよいよ最終巻」という言葉で始まっている。ここまで読んできた愛読者からすると何となく寂しい。83年に裁判官を退官されて始まった<裁判官の書斎>シリーズ、退職後のお仕事としてよく頑張って来られたこと、敬服するのみ。本書の内容もやはり嬉しいことに、半分以上が「書物談議」が占めており、採り上げる幅がますます広がり、いかに好奇心旺盛な人だったかと吃驚する。
<続々>にも出てきたLiving Willの話題が、本書では公正証書による尊厳死宣言へと発展、自らも尊厳死宣言公正証書を作られたらしいことが、具体例を示して書かれている。公証人を仕事にされていた後半生を生かした一つの身の振り方、死生観の現れかと思った。


<目耕余禄>
街角の法廷(高樹のぶ子
有翼日輪の謎―太陽磁気圏と古代日食(斎藤尚生
マルセルのお城(フランス映画)
ナニワ金融道(コミック、青木雄ニ)
アメリカ流法律士官教本(D・ロバート・ホワイト)
モノ誕生「いまの生活」(水牛くらぶ編)
束の間の幻影―銅版画家駒井哲郎の生涯―(中村稔)
コンスタンティノープルの陥落(塩野七生
黒後家蜘蛛の会アイザック・アシモフ
マリアンヌはなぜ撃ったか―法廷内復讐殺人事件―(山下丈)
メロヴィング王朝史話上・下(オーギュスタ・ティエリ)
かわいそうなチェロ(三井哲夫)
合理的な疑い 上・下(フィリップ・フリードマン
墨攻酒見賢一
レ・ミゼラブル百六景−木版挿絵で読む名作の背景i(鹿島茂
封神演義 上・中・下(安能勉訳)
短歌・俳句・川柳101年(1892〜1992)(新潮臨時増刊)
血の日本史(安部龍太郎
人麿の運命(古田武彦
マルクスの夢の行方(日高普)
裁判法の考え方(萩原金美)
祖国はるかなれども―ニューギニア戦ブナ日記―(東山信彦)
ヴィドック回想録(フランソワ・ヴィドック
お楽しみはこれからだ パート1〜4(和田誠
訴えてやる!―ドイツ隣人間訴訟戦争―(トーマス・ベルクマン)
宋名臣言行録[中国古典叢書](朱熹
ユリシーズ』案内―丸谷才一・誤訳の研究―(北村富治)

<本棚>
重耳
裁判官の素顔
説得―エホバの証人と輸血拒否事件―
愛の歌「中華愛誦詩選」
人間臨終図鑑
孫子」を読む
菅茶山
マークスの山
中世の神判―火審・水審・決闘
狐の書評

辞書漫談
恐竜の名前をめぐって
通俗小説との付き合い
老SFおたくの繰り言
『事件』をめぐる文通
『弁護士の目』を推す

<リーガル・アイ>
「悪魔」という名前
母も父も確か
悪魔ちゃん再論
死刑廃止の条件
規則とその適用
タクシーと障害者
民族としての押しの強さ
夫婦別姓か創姓か
ドイツ裁判官の解任
元訟務検事の回避のケジメ
ペトロニウス流の安楽死
戸籍は不要か

玉乃世履
異色の文化人石田五郎氏を偲ぶ
宮脇幸彦名誉会員の逝去を悼む

公正証書尊厳死宣言
新しい経験
韓国の旅
賠償医学会10周年を祝って
逆説的コメント三点
古本屋が消えていく
フェーン現象とフェーン病
よしの髓から
晴焚雨読
私の読書空間
「幾何オタク」だった頃
あとがき


『元裁判官の書斎』(判例タイムズ社2007/08)続々々で終わりかと思っていたら、もう一冊書斎シリーズが追加されていた。愛読者としては何とも嬉しい。この現物はまだ手にしていないのでこれからの愉しみ。出版社のサイトから目次と書影を引用させていただこう。
希に見る教養の幅と筆力をお持ちの元裁判官の書斎シリーズも、本書をもって完全に終わり、2011年1月30日に著者は他界された、ご冥福をお祈りしたい。

1章 裁判官生活・ことばの周辺
  1 20年前の佐賀
  2 命の値段と男女格差
  3 ふりがな復活を
  4 マル特無期懲役
  5 裁判官の欠勤
  6 ろうそく火事の報道に
  7 近ごろの裁判所
  8 青色LED訴訟の和解額
  9 ロータリー会員の法律的地位
  10 「ももんが」誌の終刊
  11 ネクタイの締め方
  12 信州人の理屈好き
  13 失鵠裁判所
  14 慰謝料昔話
  15 国立公文書館法と情報公開法
2章 死をめぐる法律論
  1 はじめに
  2 話題の限定
  3 刑事法上の死
  4 死の認定
  5 死の効果
  6 死への対策
  7 おわりに
  「講演レジュメ」
3章 書 評
  フリチョフ・ハフト『正義の女神の秤から』
  二木雄策『交通死―命はあがなえるか』
  畑 郁夫『文化としての法と人間―一裁判官の随想』
  中村 稔『私の昭和史』
  三ケ月章『一法学徒の歩み』
  和田仁孝『民事紛争交渉過程論』
  渡辺良夫監修/新美育文=鈴木篤=鈴木利広=内藤雅義=安原幸彦編集 『判例評釈 医療事故と患者の権利』サイモン・シン『暗号解読』
4章 本の話
  中野貞一郎先生古稀祝賀『判例民事訴訟法の理論(上)(下)』序文
  近藤完爾『乱帙録』あとがき
  「エンコウへの謝意」『遠藤浩先生傘寿記念『現代民法学の理論と課題』
  石川義夫『思い出すまま』―この「はしがき」の由来
  長谷川朝暮『留盃夜兎衍義』について
  十八史略世説新語の「殷浩」
  「葉隠」の理解甲乙
  雑誌「なかった」の発行に寄せて―私の視力が衰えないうちであることを
  加除式出版物とその追録
  判例タイムズ1000号の歩みの回顧―一法曹読者として
  『裁判官の書斎(正編)』自著自薦
5章 弔辞三編
  坂井芳雄さん/勝見嘉美さん/井上精一さん