武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 健やかに生きて安らかに逝くために「自分で選ぶ終末期医療」リヴィング・ウィルのすすめ大野竜三(朝日選書)

 幸いなことに現時点では私は病人ではない。人並みには健康なつもりでいる。フルタイムで働いているので職場では定期健康診断があるが、考えがあって20年ほど受診していない。胸部エックス線撮影だけは義務制なのでを受けている。QOLを維持できている時間が実質的な生きている時間だという考えでやって来た。病気や健康には人並みに興味関心もあり、自分で出来る範囲で健康を維持するよう努めている。時々、意識的に医学情報や健康情報をチェックして、頭が健康ボケしないように気をつけている。このところまた健康にかかわる気になるキーワードが溜まってきたので、引用に頼りながら情報をチェックしてみようと思う。
 気になるキーワードはリヴィング・ウィル」この本に日本語に移し変えるのが難しくカタカナ語で日本社会に定着するのではと書いている。不治の病気に罹った高齢者の病状が、終末段階を迎えた時点で、患者に施される無理な延命治療の拒否を患者本人が前もって意思表示しておくことがリヴィング・ウィルだという。「尊厳死の宣言書」と呼ばれることもある。安楽死は、何らかの積極的な方策、例えば薬物などにより患者へ働きかけ死を迎えること。リヴィング・ウィルは、延命治療を行わないことによって、消極的な無作為によって患者が死を迎えること。安楽死は患者に働きかけた結果が死、リヴィング・ウィルは働きかけをやめた結果が死、この点が違う。
 著者は愛知県がんセンター病院長を勤めており、記述が具体的で説明が分かりやすく、抑制のきいた淡々とした文章で説得力がある。患者やスタッフから信頼される医師なのだろう。
 著者は、リヴィング・ウィルのすすめ論を展開する前提として、日本の平均寿命や健康寿命が世界一位とその背景を語る。その長寿を支える医療と保険のシステムを脅かしかねないものとして、無駄な延命治療を提示する。決め付けるのではなく、慎重に論旨を展開し、延命治療の周りをぐるぐる回るようにして、読者をリヴィング・ウィルへと導いていく。「すすめ」としているように、慎重に丁寧に促すという感じ。私はこの説得なら、応じてもよいという気になった。QOLなくして、何のための人生かという気がする。しかし、意識をなくしてしまったら、すでに自分ではないので、どうにでもなれという気もするが、筋道を立てて考えると著者の主張が正しいと言わざるを得ない。
 自分の問題としてリヴィング・ウィルを受け入れるために、具体的な書類の作り方とその留意点についてすっきり具体的に記述してあるところがいい。例文が巻末についていて、その具体的な例文がとても良い文章だった。あまりに見事の例文なので最後にそっくり引用してみよう。
 また、リヴィング・ウィルと平行して同じ社会的観点から指摘してある健康のための情報が有益だった。統計的に60歳以上と70歳以上とでは、病気に罹る割合も、病気から回復できる割合も、大きな違いがあること、したがって、年齢とともに、リヴィング・ウィルを作成しておく必然性が一層高くなること、などなど。検体、臓器提供など、死後の自分について意思表示しておくことも大事だが、死ぬ寸前の死に様について、意思表示しておくことの大事さを具体的に教えられた。
 実際問題として医療の現場で、どの程度、リヴィング・ウィルが機能しているのか、その点の具体例などがあれば今すぐにでも実践してみようという気になっただろう。スパゲッティー症候群になるのがみじめで嫌なら、試してみる価値はあると思う。以下は引用。

終末治療の中止をもとめる意思表明書(著者案)

私はこれまでの人生を、私なりに一生懸命生きてきました。
ここに、私の人生が終わるとしても、決して悔いはありません。

いま、私は意識を失うような状態に陥っていると思います。あるいは、呼びかけには応じているかもしれませんが、意識は朦朧としていると思います。ということは、私はいま自分の力では水も飲めないし、食べ物も食べられないでしょう。自分で呼吸ができない状態にあり、人工呼吸器により呼吸をしているかもしれません。

繰り返しますが、私は、いま、私の人生が終わるとしても、決して悔いはありません。ですから、もし、人工呼吸器をつけてから四八時間経っても、私の自発呼吸が戻らなかったら、人工呼吸器をはずしてください。たとえ、自発呼吸がある場合でも、もし意識を失ったり、朦朧となってから四八時間たっても意識が戻らなかったり朦朧状態が続いていたら、点滴も栄養補給もやめてください。

もし、私の意識状態に明らかな回復徴候が見られる場合には、さらに二十四時間待っていただき、その時点で、私の意識が戻っていなかったり、朦朧状態が続いていたりしたら、点滴も栄養補給もやめてください。

意識の判定は、厳密にしていただく必要はありません。ふつうの声の呼びかけに対し、声を出して答えなくなったら、意識はなくなっていると判断してください。

また、点滴と栄養補給をやめた後、私が自分の力で飲み食いできる状態にないのなら、無理に飲ませたり食べさせたりしないでください。もちろん、そうなったら、昇圧薬も輸血も人工透析血漿交換などもやめてください。

もし、私が苦しがっているように見えるならば、その状態を緩和していただける治療は、喜んでお受けします。ただし、昇圧薬や脳圧低下薬などの、延命のための治療はやめてください。

いま、私の命を永らえるために努力をしてくださっている、お医者さん、看護婦さんやその他の病院スタッフの皆さまに、心から感謝しています。せっかく、努力してくださっている皆さまには、たいへん申し訳ありませんが、どうか、私の願いを聞いてください。決して、決して、悔いはありませんので、お願いいたします。

私はこの終末治療の中止をもとめる私の意思表明言を、意識も清明で、書いている内容を十分理解している状態で書いています。

たとえ、家族の誰かが反対しても、私の意思を尊重してください。四八時間という時間は短いかもしれませんが、決して悔いはありません。どうか、私の願いを聞きとどけてください。

   年  月   日       
        住所
        本人自筆署名                歳 印
(可能であれば)家族自筆署名