武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「ベッドサイド」(1986〜2000)林あまり(新潮文庫) 

 俳句にバレ句というのがある、この人の短歌はほとんど<バレ短歌>、こんな言葉があるかどうか(笑)、林あまりさんの短歌はとにかく凄い。性感をそのままゴロリと白昼の広々とした交差点の真ん中に放り出したようなあっけらかんとした潔さがある。言葉の組み合わせが喚起する卑猥さは、眠気が吹っ飛ぶ強烈な言語ハードパンチ。隠微に隠れ潜む感受性がエロスの要素なら、彼女の公明正大な性愛表現はアンチエロスと言いたくなるほど。きわめて露骨そして汗ばむほどに熱っぽい。発熱した後に急激に冷えてゆく虚無感も超リアル。並みのポルノグラフィーには到達できそうもない性愛の落差を抱え込んでいるところが凄い。この感覚は、体験によるよりもおそらく磨きぬかれた言語感覚と繊細な想像力の賜物だろう。体験や感覚をなぞっていたのではこれほどに直裁な表現は生まれまい。
 私が気に入ったのは、表現の露骨さもさることながら行間に流れる透明な孤独感、スピードのある寂しさの感覚。たった41音にどろどろした性愛の泥沼を切り抜く言葉のメス、切れ味が鋭いから読んだ後に不快なものが残らないのだろう。林あまりは綺麗好きな人のようだ。読み返してみて前回のときの記憶も印象もすっかり消えていることに驚いた。林あまりの言葉は、痕跡をとどめないほど速い。神経に絡みつくような粘液質な性愛表現が時間とともにさっと拭い去られて消えるのは素晴らしい言語特性といえまいか。それとも単なる健忘症か(笑)。
 好き嫌いはあるだろうが私は林あまりの表現が気に入っている。彼女の最良の表現ではないかも知れないが、彼女以外に口にする歌人がいないような林あまり的な作品を15首だけ抜き書きしてみよう。一首でも共感できた人は一度歌集を手にとってみても損はしない。


舌でなぞる形も味もあなたは知らない
 わたしにはこんなになつかしいのに



うしろからじりじり入ってくる物の
 正体不明の感覚たのしむ



まず性器に手を伸ばされて
 悲しみがひときわ濃くなる秋の夕暮れ



あなたの上にからだを落とす
 ほとんどの重荷は下ろしてしまった気がする



いま咲くと言ってから咲く
 営みの声のすこしの嘘なつかしく



筋肉の収縮はきっとあなたのほうが
 よくわかっているわたしのからだ



ひざまずいて蜜を吸ったり
 花畑でするようなことしているふたり



さあ波に乗らなくては さざ波を二つ見送る
 大きい波、来た



右脚をしずかにひらかせ首にかけ
 ピアニストの指芯に届きぬ



性交も飽きてしまった地球都市
 したたるばかり朝日がのぼる



カーテンの向こうはたぶん雨だけど
 ひばりがさえずるようなフェラチオ



手の中の小鳥のようにひくひくと
 終わってちいさくなったおちんぽ



夕焼けが濃くなってゆく生理前
 ゆるされるなにもつけないSEX



交わりののちにシーツにくるまれて眠る
 ほとんど死体に近く



なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ
 さよなら、あんた

以上で引用は終わり。