武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「大人のお洒落」石津謙介著(朝日新聞社) 男のファッションについての見識が面白く、深みとかっこよさに満ちていて、何かと参考にさせてもらっていたファッションの先人

toumeioj32005-06-21

 大人の立ち振舞い方を話題にして人を惹きつけ、頷かせることの出来た偉大な趣味人、服飾評論家の石津謙介さんが5月24日にご逝去。94歳。遺志により献体し葬儀は行わないとのこと。最後までかっこいいとしか言いようがない。自らの生と死についてある種の確固とした覚悟なしに出来ない決断。石津さんのファッションの話にもいつも思いっきりの良さがあり、かっこよさのもとになっていたような気がする。十分に考えを推し進めた結果のまとめ方、切り上げ方がうまかった。さぞご婦人方に好かれた方に違いない。
 いま「大人のお洒落」をぱらぱらめくってみて改めて、その文章の明快で分かりやすいこと、主張にきちんとしたさりげない根拠を置き、ずばりと言いたいことを言い切っていること、並みの文章力ではないと感じた。新聞の短いコラムの寄せ集めのようだが、ひとつひとつが警句に満ちて面白い。可なり前に何かの折に入手、一気に読み上げたように記憶している。
 内容は幅広く、次のような各章にまとめてある。『大人のおしゃれ』『良きビジネスのために』『遊を楽しむ』『大人のこだわりグッズ』『味を楽しむ』言及している範囲も幅広く、そこがまた面白さになっているのだが、私の印象では石津謙介さんの文章から見えてくるのは、とても真面目で一途な人。石津さんは服装の「TPO」を提唱した人らしいが、ファッションへの真面目で一途な追求がなければ出てこなかった発想だろう。大変な美食家だったらしく、話題が食べ物に及ぶと文章に一段と熱が入り楽しく読めた。
 大きな挫折もあったようだがやりたい事をやりつくし、年齢から見ると、まずは大往生の内に入るものと思われる。十分な高齢者の肺炎ならそんなに苦しまずに大きな河を渡られたことだろう。お疲れ様でした。心穏やかにお見送りしたい、束の間の黙祷と瞑想を。
 最後に同書の中のFPOと題されたコラムを紹介しよう。なるほどと感心し参考になったもの。

「おしゃれ」と「身だしなみ」は違う。
 もしあなたが現状肯定の保守派であるならば、毎月、書店に現れる男のファッション雑誌など、そんなものに振りまわされて「ちょっと変わった服でも着てみようかな」などと、そんな冒険を考える必要なんか全く無用というべきで、自分と他人との差別化などということよりも、現在の一般的常識や、社会的な不文律に忠実であることに専念すべきであろう。そんな人のことを「身だしなみのよい人」と呼び、こういう人は常に「清潔」ということを念頭に置いている人が多い。
 反対に、昔から続いて長い生命力を持っている習慣や常識に反抗して、常に改革を目指す進歩派であるならば、いち早くファッションに身をゆだね、人より一歩先んじて、ニューブランドを買い漁り、それを現代的感覚と信じて快感を味わう。目立つことによって、自分の存在を印象づけようと日夜努力する。そんな人のことを「おしゃれな人」と呼ぶらしい。
 要するに「身だしなみ」と「おしゃれ」とは正反対に位置するものであると考えるべきであろう。
 次に「マナー」ということだが、これはどうも一朝一夕に出来上がったものでもなさそうだし、これからもそんなに急激に変わるものでもないだろうが、といっていつまでも同じ価値観で通用するものとも思えない。いずれにしても、世間が相手であり、慣習が大きく作用するだけに、話はむしろ簡単である。つまり世間並みに振る舞えばよい訳で、公と私のけじめさえはっきりしていれば問題はない。
 ただ、服装に間するマナーというのは、現在の日本人の生活の中の衣服のほとんどが西洋からの渡来物であり、西洋流にするのが本当なのか、それとも日本国内では日本流の作法が正しいのか、それをどう判断するかにかかっているところがある。進歩派は西洋風に装うことを「おしゃれ」と心得、保守派は日本では日本式が合理的と考え、それを「身だしなみ」と割り切っている。
 要は、「TPO」。すなわち、時と場所と場合とを、自分なりにどう考えるか、という個人個人の価値判断に任せるより他はないが、この価値観が多様化してきて、TPOに対する考え方も個人差もますます大きくなりつつある。そこで私は、今までのTPOという考え方を、FPOに置き替えて、Fはフォーマル、Oはオフィシァル、そしてPはプライベートとする。すなわち、公式の場所と、仕事の場合と、それ以外の私的生活の場、この三つの環境によってルールを考え、マナーを守るのが現代的と、私は考える。