武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『美しきもの見し人は』堀田善衛著(発行新潮文庫)

toumeioj32005-09-04

この新潮文庫版の「美しきもの見し人は」を何度も手にして、四隅がこすれてまるくなってしまった。同じ著者の同じ本が朝日選書からも出ているが、ポケットに入るサイズが手ごろでしかもカラー写真が70枚モノクロ写真が22枚、文庫にしてはかなり豪華なこの本が私のお気に入り。対象となっているのは、主に西洋美術だが、西洋美術についての歴史常識など全くない人でもすっきり分かるように書かれている。内容的に易しいわけではない。むしろ、驚くべき博識が説き及ぶ範囲は広く、読んでいて物事を感じ考えると言うのはこうゆうことなのかと感心するところがとても多い。何度も読み返したのはそのため。
 さて、表題の「美しきもの見し人は」は、ドイツの叙情詩人アウグスト・フォン・プラーテンの生田春月訳の、戦慄に満ちた美への賛歌、もしくは悲歌からとったもの、何というロマンチシズム、まず元の詩を全文引用してみよう。

美しきもの見し人は
はや死の手にぞわたされつ
世のいそしみにかなわねば
されど死を見てふるうべし
美しきもの見し人は



愛の痛みは果てもなし
この世におもいかなえんと
望むはひとり痴者ぞかし
美の矢にあたりしその人に
愛の痛みは果てもなし



げに泉のごとも涸れはてん
ひと息ごとに毒を吸い
ひと花ごとに死を嗅がむ
美しきもの見し人は
げに泉のごとも涸れはてん

 さて、著者が本書で採用している方法論が、序の部分に明記されているので、それに触れてみよう。著者は、日本人の生活感情がいかにヨーロッパの美から隔てられているかと言うことから出発し、ヨーロッパを理解するためにはギリシャキリスト教・科学精神の勉強が必要不可欠だが、「異質の美に対して、無理と努力、勉強を出来るだけしないで、出来るだけ、最大限に自分の自然を保って見て行きたいと思う。いかなる巨匠の、いかなる圧倒的な傑作と世界に称される物であろうとも、それが自分の自然に取って滑稽と思われたら、それを滑稽と言う自然を保って行きたい」と言っている。こういう姿勢に貫かれているからこそ、この本は西洋美術鑑賞の突出した傑作になったのではないかと思う。でも、自分を見失わない鑑賞ほど難しいものはない。私など、すぐに自分を見失う。

 絵に向かい会う時、どんな心構え、どんなスタンスを取ればいいか、この本から教えられることはとても多い。しかし、誰もが堀田善衛のようになれるわけではない。その人その人が、好きなように自分の感じ方で、自分の生まれながらの自然を大切に、余り無理をしないで心豊かに鑑賞すれば、それでいいのだと言うことを自然に教わったような気がする。 (画像は新潮社版の初版の単行本、白い箱入りで文庫版とかなり印象が違う)
 堀田善衛は、無理しない、勉強しないといっているが、どうしてどうして、既にたっぷり身につけている博識というか教養というか、その蓄積の豊かなこと豊富なこと。文章をたどってゆくと、こちらに豊かなものの見方がしっくりとした落ち着いた文体をとおしてすんなりと流れ込んでくる。何という自在な分かりやすい、伸びやかな文体だろう。上手下手を超越した融通無碍な文体といえばいいか。全21編のエッセイが読み終えるのが勿体ないほどいい文章で展開されてゆく。最後に、内容紹介をかねて、目次を引用しておこう。

(1)アルハンブラ宮殿 (2)ガウディのお寺  (3)天壇をめぐって
(4)異民族交渉について  (5)アフリカの影  (6)黙示録について
(7)ワットオの黄昏 (8)ヴェラスケスの仕事場に私の派遣したスパイ  (9)楽園追放―アダムとイヴ
(10)ヴェネツィア画派の栄枯盛衰について  (11)アルビにて 陸上軍艦とロートレック
(12)美し、フランス  (13)間奏楽 人と馬 (14)クロード・ロラン 泰西名画について
(15)二つのドイツ  (16)一つの極限についてフランシスコ・デ・スルバラン
(17)夜の王国 あるいは乱世の画家ラ・テゥール  (18)モナリザには眉がない
(19)肖像画 対話あるいは弁証法について  (20)常識のために 絵の具の話  (21)受胎告知画

 なんとも魅力的な、好奇心をそそる小題ではないだろうか。是非一読をお薦めする。