武蔵野日和下駄

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 ルービンシュタインのベートーベン・ピアノ協奏曲第五番<皇帝>の演奏に触発されて

toumeioj32005-10-19

 何よりも奏者88歳時のピアノ演奏がきわめて素晴しい。RCAから出ているCDを何度聴きなおしたか数え切れない。威風堂々がっしりと聳え立つような絢爛たる音の構築物、文句のつけようがない感動的な名演奏。
 このCDのことを敬愛する音楽評論家、宇野功芳さんは「クラシックの名曲・名盤」の中で褒めちぎっているので、チト長いが引用する。

 ルービンシュタインは1887年に生まれ、1982年、95歳の高齢で世を去った。名手だが、「皇帝」のCDは1975年、なんと88歳の録音なのだ。
 もちろん、90歳をすぎて、なお活躍をつづけたピアニストは例がないわけではないが、ベートーヴェンの「皇帝」をこんなに立派に、こんなにも堂々と弾きのけたのは、一人ルービンシュタインだけである。
 彼は語っている。
 ―演奏というものは一回かぎりの行為である。昨日よりは今日、今日よりは明日と、一回一回が新しい創造であり、前進をつづけなければならない。停滞やマンネリズムは芸術家としての滅亡を意味する。払は長年にわたってピアノを弾いているが、現在でも進歩をつづけていると信ずる―
 ルービンシュタインは1963年にもラインスドルフと組んで「皇帝」を録音しており、非常な名演奏だが、新しいバレンボイムとの共演盤とくらべると、月とスッポンぐらいちがう。本当に驚嘆すべきことであり、僕はルービンシュタインの新盤さえあれば他のレコードは必要ない、とさえ思っている。これは人類の至宝である。
 彼のピアノは葉脈で腰が強く、澄みきっており、雄大であり、悠々と落ち着き、内容ゆたかで、ときにはゆとりをもって遊ぶ。遅いテンポを完全に保ちきり、ルバート(テンポのゆらめき)を多用し、きわめて彫りが深い。ベートーヅェンが書いた一つ一つの音符が、これほど目に見えるように弾かれた例は決してあるまい。まさに大芸術家の演奏である。

 88歳と聞いて、正直、びっくり仰天した。演奏の力強さ、訴えてくるものの逞しさ、とうてい老年期後期を過ぎようとしているご老人の演奏とは思えなかった。ウソダロウと言うのが実感。進歩し続けるのが芸術家の宿命だとするルービンシュタインの言葉はその通りだろうが、実際問題として、ほとんど奇跡に近い。
 長い間、この88歳の演奏がどうして可能になったのか、気がかりだった。ところが最近『<老い>をめぐる9つの誤解』という本を読んでいて、このルービンシュタインの老年期の演奏活動の話に行き当たった。完全に納得したわけではないが、ナルホドと思わされる点があったので引用する。

 選択、最適化、代償を励行した実例は、高名なピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインである。70歳代、80歳代を迎えて身体的な能力が衰えたとき、それでも、ルービンシュタインは、ピアニストであリ続けたいと願った。彼は、まず、リサイタルで弾く作品の教を減らした。自分がもっとも楽しむことができる、また、もっとも高度な表現を与えることができる作品を選んだのである。次いで、ルービンシュタインは、全盛時代より練習時間を増やすことによって演奏技術を最適化した。だが、老化が進むにつれて、どれだけ練習時間を増やそうとも、指を動かす速度をそれまで通りに保つことができなくなってしまった。ルービンシュタインは、どのような代償手段によって、ピアニストに急速な指の動きを要求するパッセージに対処したのだろうか? 彼は、ゆったりとしたパッセージをさらにゆるやかに弾き、そのテンポとの対比によって、彼が演奏するアップテンポのムーブメントが聴衆の耳には通常のアレグロとしか響かないような演奏のスタイルを生みだしたのだ。

 「選択、最適化、代償」これがこの本の著者の言う老化対策のキーワードだが、ルービンシュタインの老齢化に対する戦略構想が見事に語られている。少しだが、<皇帝>の感動的な演奏が、88歳という高齢にになっていかにして実現したのか、謎の一端が覗けたような気がした。