武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『マイルスを聞け!』中山康樹著(双葉社文庫)

toumeioj32006-01-01

 年の初めの推薦図書1号を何にするか迷ったが、これに決めた。モダンジャズの帝王とまで言われたジャズトランペッター、マイルス・デイヴィスの全アルバムの解説本。ページ数が800ページを越える分厚い1冊、1枚1枚のアルバムにつけた、情熱的で詳細なアルバム解説が内容のすべて。表紙にバージョン⑥とあるように、6回目の改訂版らしい。私は、最初の単行本と文庫化された最初の版と、この最新版で都合3冊をもっている。このシリーズにこれほど惚れ込むには訳がある。
 ①クールな解説もホットな解説も、解説の背後に解説しようとする対象が好きで好きでたまらないという気持ちが潜んでいるかどうか、これが大切。好きこそ物の上手とはよく言ったもの、他人から何々フリーク、何々オタクと言われるほどでなければ、人様に薀蓄を傾ける資格はないと信じている。その点、この中山康樹さんほど熱を込め自信にあふれてマイルスを語る人を他に知らない。中山さんが、マイルスがいかに素晴らしく傑出したミュージシャンであるかを語るのを読んでゆくと、こちらまでうれしくなる。物事の核心というものがあるとして、そこにたどり着く一番の方法は、とことん惚れ込んでしまうことがベスト。好きで好きで仕方がなくてその総てを自分のものにしたくてたまらなくなった時、人は本当の意味で探求者となる。そんな探求者は見ていても気持ちがいい。
 ②音楽や絵の鑑賞について、無心に裸の心で聴き見ればよいと言う人がいるが、あれほど酷い嘘もない。人類とともに発展をとげてきた近代西洋音楽や近代絵画、あるいは高度に発達したモダンジャズ、いずれもたっぷりと鑑賞の醍醐味に浸るには、ある程度訓練された眼や耳がどうしても必要。鑑賞には、鑑賞の蓄積と言うものが必要、鑑賞の蓄積と知識の蓄えが眼や耳を磨き豊かにする。そして、効率的な蓄積のためにこそ適切な解説、鑑賞の手引きが必要となる。優れた鑑賞の手引きには、鑑賞者を迷路から救い出す千金の値打ちがある。マイルスの音楽もその一つ、解説なしで聴けないことはないが、より深く理解し心底から感動するためには、優れた解説が助けになる。マイルスが20世紀の音楽シーンの中で成し遂げてきたことを知り味わうために、これは必携の解説本。
 ③良さの語り方に、いろんな方法があると思うが、最終的には、良いから良い、文句があるか、というしかない鑑賞の頂点がある気がする。中山康樹さんは、レコードやCD解説をふんだんにこなした上で、(スイングジャーナルの編集長経験アリ)この究極の一点に気づいている。連発する「ク〜ゥたまらん」の台詞、私は解説の責任放棄だとは思わない。鑑賞の喜びの頂点で発する言葉を失うような感嘆きわまった時の決め台詞として、慣れてくるとやっと出たかとうれしくなる。マイルスの音楽には、言葉を失ってしまうように至高の頂点な確かにある。そこを指摘してくれているのがうれしい。
 ④これまでの鑑賞本には、客観的な歴史を背景にしたものが多すぎた。歴史を通して語ってゆくと、歴史を突き破るような巨人を結果的に狭い歴史の枠に閉じ込めてしまうことになる。同時代の独創的な表現者を語るには、歴史解説風にやるとどうしても掴み切れないところができてくる。その結果歴史をとるか、惚れ込んだ人間を取るかの選択をせまられることになるが、勿論、人間をとるのが正解。中山康樹さんのマイルス論には、モダンジャズの歴史を突き破るような勢いがあるのが凄い。勿論、マイルスという稀に見る音楽家の凄さがあってのことなのだが、その凄さを真正面からがっちり受け止めているところが素晴らしい。
 多くの人が手に取るとは思えない本だが、すこしでもジャズに興味があるなら、是非、手元に置いてほしい。ガイドブックがどうあるべきか、最良の見本。