武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『翼はいつまでも』川上健一著(集英社文庫)

toumeioj32006-03-11

 爽やかな涼風が吹きつけてくるような思春期物語。<翼はいつまでも>などという大人が気恥ずかしくなるような題名だったので、気後れしながら読みはじめたが、じきに気にならなくなった。文章に気取った文芸臭がなく描写がストレート、読みすすめるのに何の抵抗感もない。物語の語り手として大事な資質をもった作者だと感じつつ、力強い物語構成に巻き込まれてしまった。
 物語の構成は、第1章が「お願い・お願い・わたし」と題された野球少年の日々、主人公の神山君の2年生2学期の秋から3年の1学期までの日々。物語は、神山君が米軍の放送でビートルズに出会うところから、急激に展開し始める。調べてみるとビートルズのPlease please me のシングル発売が63年の1月だから多分その頃の時代設定。主人公がみるみる輪郭鮮やかな少年となり、物語の文体もこの辺りから精彩を増してくる。このビートルズとの出会いまで読んだら、多分読者はこの物語のとりこになるはず、それほどこれから先が面白い。学校側との対立抗争もビートルズで絵のように鮮明なドラマと化す。確かに、あのころは現在進行形のビートルズはいたるところで小さな事件を引き起こすほど既存の文化にとって衝撃的だった。ビートルズは確かにカルチャショックそのものだった。
 第2章「十和田湖」は、場所を十和田湖湖畔に移して、少年神山君と天才音楽少女斉藤さんの初恋物語へと発展してゆく。神山君を取り巻く野球の仲間と中学校の同級生達、そしてお決まりのように登場してくる対立物としての先生達、そして大人たち、雄大十和田湖周辺の自然の中で、物語は奇跡の数々をややあざといまでにめくるめくまでの展開を見せつける。胸を締め付けるような辛いシーンがあるかと思えば、思わず涙腺が緩みそうになる悲しみのシーン、そして思わず胸が熱くなるような感激の場面。川上健一さんは、これでもかこれでもかと名場面を連発してくる。その気取りのないストレートな物語作りがかえって新鮮、物語りのすれっからしのような私ですらつい引き込まれてしまったくらい。
 この二つの章が物語の大半、人によってはこの2章で完結させたほうが良かったのではと思うかも知れない。だが、川上さんは「勇気の翼」と題する終章をつける。中学3年生から30年後の同窓会がその場面、最後の言わずもがなの絵解きのような場面だが、大方の予想通りの中年たちの同窓会場面、なければないでいいが、あればあったで納得しシメシが付くというもの。川上健一さんはサービス精神旺盛な作家なんだろう。ここまでやってくれれば、読者に何も文句をつけるいわれは全くない。メデタシメデタシ、小学生が読んでも納得できるはず。
 中学生時代は、解説者の角田光代さんも指摘するように、とてつもなく困難な時代、身の置き所がないよな少年期から青年期への過渡期、過ごしようによっては人生に深い傷を残すような過酷な時代。主人公のような晴れ晴れとした中学校生活はまずあり得ないと思うが、力強いストーリーなので何かの励ましになるかもしれない。こんなに勉強しなくっていいのかと教育ママなら心配するかもしれないが、一服の清涼剤にはなるように思う。今は大人になっているが、中学時代に辛い思いをした人に是非お勧めしたい。
 最後に、この物語の中心になっている第2章の始まりのフレーズが、この物語り全体を象徴しているので引用しておこう。

十和田湖は光の中にあった。なにもかもがまぶしく輝いていた。

(略)

真っ青な湖面。緑の山々。湖面に手をのばすようにしてひらひらと風にゆれている木々の梢の葉。遠くの雲の切れ間から射しこむいく筋もの光線が、ずっと遠くの湖面を目に痛いくらいに白く光らせている。ぼくはあまりにもすごい大自然に圧倒されてただ呆然と突っ立っていた。

 どうです。調子がいいとは思いませんか。この物語は「なにもかもがまぶしく輝いていた」時代の奇跡のように輝かしい物語りです。大人が読むと恥ずかしいほど純真一途な初恋物語です。たまには、童心に帰ってみるのも一興ですよ。