武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『赤い霧』 ポール・アルテ著 平岡敦訳(ハヤカワ・ミステリブック)

toumeioj32006-09-16

 物語の楽しみ方と言うか鑑賞方法と言うか、小説の読み方には、各人各様のいろいろな読み方があると思うが、ギリシャの昔から登場人物への感情移入という古典的な方法がある。お気に入りの登場人物の気持ちになってストーリーを楽しむと言うやり方だ。多くの人が、意識するしないにかかわらず採用している読み方だろう。
 新聞連載や雑誌連載などの場合、絶対に全体を読めないので、部分部分を読みつつ予想を楽しむ「一読総合法」などと言う読み方を使ってみるのも面白い。じっくりと時間をかけて声に出して読むやり方や、地の文を斜め読みにして会話文を拾いながら駆け足で走り読みする方法もある。他にもいろいろあるだろう。
 どんな読み方であっても、読み手の目的に合っていれば、それで良いわけだ。今度、時間をつくって、本のいろいろな読み方について調べてみよう。
 前置きが長くなった。本書は、フランス本格ミステリの第1人者、ポール・アルテの傑作の評価が高いミステリ作品。<ぼく>と称する一人称の人物が主人公、いわゆる密室殺人の謎をつぎつぎと解き明かす刑事なのだが、変装の名人で何度も身分を偽装する設定。コーラと言う名のお相手は、魅力的な美人。二人のロマンスを絡めながら、陰惨な連続殺人事件がストーリーをつないでゆく仕掛け。
 いつもなら、この手の恋模様を織り込んだ連続殺人事件の犯人追跡なら、主人公に感情移入して読むのが一番楽しめるはずなのに、この小説に限っては、どうしてか上手く感情移入できないようにできている。まして主人公が一人称の<ぼく>なら内面の描写を含めて、視点人物なりきって読むのが一番楽なのだが、なぜか上手く感情移入できない小説だった。特に、物語の山場に差し掛かると、突然自体が太字になって、説明抜きの奇妙な感情のほとばしりを表すよう独白が出てくる。内面のさらなる内面を無理に押し付けられるような気がして、つい、感情移入が途切れてしまう。つい身を引いてしまうような感じと言えばいいか。太字の記述は、一体誰の心象表現なんだろう。そんな感じを受けながら、チトいらいらしながら最後まで読んだ。ぐいぐい読ませる力は十分にある。
 実は、最後までいくと、この感情移入を途切れさせる手法が、このミステリーの最大の仕掛けになっていたと言うことが判明するのだが、この手の込んだミステリ、どなたにお薦めしたら喜ばれるかチト心配。19世紀末のイギリスで発生した稀代の凶悪犯罪、切り裂きジャックの事件を題材にした、洒落ているが残酷な現代フランスの奇妙な本格ミステリと言えば、読んで見る気になる人がいるかもしれない。本格ミステリーの衣装を着たサイコスリラーと言ったらネタバレでお叱りを受けるだろうか。フランスと言うお国、昔々、小説を否定する小説と言うふれ込みの小説、アンチロマンという前衛小説があったが、さしづめ、このミステリはアンチミステリを目指したミステリなのかもしれない。
 表紙の帯には<最高最強の本格ミステリ>とあるが、私は、そこまで褒める自信はない。何と言っても、不可能犯罪や密室殺人の謎解きの部分が、相当にお粗末なのはいただけない。この肝心な部分が改善されると、もっと評価は高くなるのだが、残念。奇妙な味わいのミステリだった。