武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『流され者①狂神の章』 羽山信樹著(角川文庫)

toumeioj32006-11-02

 この国が大きな変革の荒波に飲み込まれた幕末、流刑地八丈島を舞台に、前代未聞の時代劇ヒーローを配置した、類例のない伝奇時代小説「流され者」の魅力について語りたい。時代小説に求められる暗黙の枠組みや創作上の約束事をほとんど無視した上で展開してゆく奇想天外な物語は、一部に熱烈な愛好者がいるが一般にはあまり知られてはいないようだ。まずその第1巻目「狂神の章」から気が付いたことを記述してゆこう。
 ①時代設定と舞台設定、文久元年(1861)の早春、主人公である壬生宗十郎が幕府の御用船にのって八丈島に到着する。第1巻では、ほぼこの年の1年間の出来事が語られる。時代変革の中心地である江戸や京都から遠く離れた八丈島を舞台にしたことにより、息苦しいまでの時代小説の枠組みから物語を開放する条件が準備された。この物語はにおける、状況から隔離された離れ小島の奇想天外な物語作りが可能となった。
 ②主人公、壬生宗十郎の設定、類をみないほど主人公の悪人振りが際立つ。この国の時代小説は、不思議なことに心優しい正義の人物像を付与されている人物が、多くの場合熟練した殺人技術を持つ殺人者である。道徳的には絶対的な悪であるはずの殺人が、不思議なことに道徳的な免罪される。しかし、この物語の主人公は、多くの場合理不尽な虐殺者、意味なき殺人者である。この小説は、時代小説の剣戟シーンの殺人の本質をむき出しにする。主人公壬生宗十郎には、美的な生き方の探求者、近代科学の実践者、などなど本来は矛盾する側面が山盛りに付与されている。どんな波乱万丈のプロットにも対応できる人物造形。画期的なヒーロー像と評価したい。フィクションにしか許されないスーパーヒーロー。
 ③主人公を取り巻く人物像が面白い。<1>主人公が熱愛を捧げる女医<つばき>、近代医学とエロスを体現する魅力的なヒロイン、主人公との間で繰り広げる残酷かつ純情な爛れるような愛欲絵巻は、極彩色の濡れ場シーンが際立つ。<2>主人公に付き従う三人の従者、周三、銀次、喜久蔵、いずれも見事なまでのならず者。主人公の行動を補佐し、ストーリーの幅を広げる役割を十二分に果たしてくれる。
 ④私が気にいっているのは雑種イヌ<綱>。壬生宗十郎が近づいたり登場してきたりすると、敏感にそれを察知し失神して倒れる、つばき付き従う少年<>の飼い犬<綱>は可愛らしい。この物語りには、ほとんどユーモアが登場する余地はないが、この雑種イヌにはにんまり。まるで主人公の接近を知らせるセンサーのような役割をはたし、一瞬だがホッとさせてくれる。
 この物語、なぜかどの登場人物にもなかなか感情移入できない仕掛けになっている。豪華絢爛の伝奇時代絵巻を展開しながら、読者は傍観者的に傍から呆然と眺めることしか出来ないようになっている。客席から映画を見ているような感覚でストーリーを追ってゆくことになる。従って、読んでいてとても疲れる。グイグイひきつけながら同化することを拒んでくる。とても変っていて、とても気に入っている所以である。角川映画で映画化の企画があったようだが、立ち消えになった。リイドコミックに「流され者」という同名のコミックがあるが似て非なるしろもの。小説の方が数倍面白い。
 めちゃくちゃなお話を怒らないで楽しめる人にお勧め。