武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『料理人』 ハリー・クレッシング著 一之瀬直二訳 (ハヤカワ文庫)

 この本もbookoffの100円コーナーで見つけてきたもの、外れてもいいやと思って他の何冊かと一緒にまとめ買いしたなかの1冊だった。買ったまま何日かほったらかしにしておいて、何気なく読み始めて、たちまち魅了されてしまった。本棚のしかるべき位置に席を占める値打ち物の1冊だった。奥付をみると72年に初版が発行されている。今から35年以上前に出版されていたことになる。うかつだった。

 ①多分原文がいいのだと思うが、文章が簡潔ですっきり、しかも含蓄と奥行きある文章が味わい深い。単純だが、味が濃厚なのである。皮肉っぽくないのに皮肉が利いているといおうか。不思議な味わいと言わねばならない。
 ②題名の通り、凄腕の料理人の、サクセスストーリーとなっているが、人間にとって料理がいかに重要なものであるか、克明に具体的に浮き彫りにしてくれるお話。
 ③プロットが象徴的なので、つい深読みしたくなるが、私の印象では、F・カフカの「城」を裏返しにした物語という感じがした。共同体というシステムに自分を解体される物語が「城」であるとするなら、共同体を自分の料理技術で解体してしまい、さらに再構築してしまうのがこの「料理人」という物語。どこからこんな発想が生まれてくるのか驚異。
 ④斬新な新種のホラー小説としても読める。奇妙な味の短編はけっこうあるが、これほどひねりの効いたピリカラ中篇小説は珍しい。小説読みのグルメ向き。
 ⑤ダイエット料理、医食同源の発想、これらの最近注目の食餌療法の考え方を筋立ての大きな柱に組み込み、しかも、美食の基調を最後まで崩していない。不思議の味わいと言うしかないだはないか。
 ⑥私には、主人公のコンラッドは、新しいタイプの<死神>のような気がした。極上の料理を食わせる死神、素晴らしい設定ではないですか。
 とにかく、最後まで読んで、何ともいえない奇妙な読後感を是非味わって欲しい。極上の小説にしか絶対に作り出せない絶妙の読後感が味わえます。同じ作者の別の作品が読みたくなりますが、あとがきによると、作者名は変名で経歴も人物像も不明のよう、作家としての力量は半端ではない。