武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『美人論』 井上章一著 (発行リブロポート)

 この著者はこれまでに人の意表を突く少し変ったテーマのもとに丹念に関連事項を取材して、興味深い本をものしている異才の研究者、発売された当初、書名が挑発的なだけにフェミニズム絡みでいろいろと話題になったらしい。女性の容貌に関する本かと思いきやさにあらず、容貌をめぐる言説の変遷と、いわゆる<面食い>男をめぐる倫理の変遷が、全体を貫く大きなテーマ。巷の雑談のテーマとして頻繁に取り上げられる話題でありながら、公的にはなかなか話題にしにくいテーマなので、著者は非常に周到な準備をしたうえで記述を進めている。しかも、いつもながら踏み外しそうで決して踏み外さない記述のバランスは実に見事、引用されている資料の豊富さもさることながら、ロジックの組み立て方も巧みで、最後まで興味深く読むことができた。面白くて仕方がなかったというのが正直な感想。
 キーワドとして繰り返し使われている言葉に<両大戦間期>という言葉がある。第一次世界大戦(1914〜1918)と第二次世界大戦(1939〜1945)に挟まれた時期という意味、この時期を境に女性の容姿を表現する言説が、公的にも私的にも逆転するような大きく転換したという指摘が、大きな柱になっている。近代国家同士の総力戦体制が、女性の社会進出と地位向上に計り知れないほど大きな役割を果たしたという指摘を聞いたことがある。同趣旨の見解として妥当な指摘ではないかという気がした。
 現代は、テレビをはじめあらゆるものがビジュアル化されている時代、モデルやコンパニオン、俳優は言うに及ばず、容姿の商品価値を駆使する時代、そのあたりの分析も読んでいて大変参考になった。男女を問わず、容姿をめぐる建て前と本音の変遷は、実に面白かった。実際、相対評価で10%程度の美女ならまだしも、1%程度のレベルの美女が登場すると、場の雰囲気が登場以前と以後とではがらりと変わる、あの変化ほど面白いものはなという気がする。古くからある「美人罪悪論」に、根拠がなかったわけではないという記述、あきれるやら感心するやら、この著者ならではの快著としてお勧めしたい。
 多岐にわたる内容の概要を紹介するために、目次を引用しておこう。

1 受難の美人
   修身の醜女たち/ 美人排斥論/卒業面/ミス学習院/女はすべて、醜婦であれ
2 美貌と悪徳
   ブとスのふたつの文字/知的なレベル/美人罪悪論/女大学
3 自由恋愛の誕生
   面喰いの近代/玉の輿/妻という名のアクセサリー/火花をちらす社交界/美貌の社会学
4 容貌における民主主義
   アナクロニズム/美人礼讃/私は美しい/おろかな面喰いたち/愛さえあれば/人間不平等、機会不均等
5 資本と美貌
   美人国策/社会の花/美男罪悪論/21世紀の美男たち
6 管理される審美観
   衛生美人/ミスリーティング/翼賛美人のコンテスト/結核好み/美人と体育
7 拡散する美貌観
   表情の美しさ/知性の美しさ/たてまえの両大戦間期/定義の変更がめざしたもの
8 努力する美人たち
   才色兼備/ミスコンの女子大生/女流作家・女性研究者/高群逸枝の大予言/晩婚美人
9 禁忌と沈黙
   アンケートの声/脱面喰い化の夢/学校、そして警察/センセ−ショナリズムを超えて
10 美「人」論の近未来
   隠蔽のメカニズム/「或一派の御婦人方」/籠城戦から城外ヘ/塀のなかの美貌/誰のために美しく/男女平等