武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『切支丹の里』 遠藤周作著 (発行人文書院1971/1/20)


 深い旅、重い道行き、そんなフレーズを呟きたくなるような読後感だった。普通、紀行文は、初めて訪れた未だ見たことのない国や地方の風物人情を目にし体験した新鮮な驚きや感動を、表現の基調にすえることが多いが、この紀行文は、最初の感動がすっかり沈静化したところから、書き始められており、観光的な意味合いでの紀行文とは相当に違う。自分の心の奥に踏み込んで行くような、内面への紀行と言ったらいいだろうか。 (画像は面白い本書のブックカバーを広げたところ)
 取材目的で何度も行ったことのある場所を、改めて紀行文にするために、この作家は紀行文に一つの工夫を施してある。全体の構成に、配慮を巡らせて、ひとつの物語のような配列にしてある。訪れる場所がエピソードとなり、最後にこの内面への旅は意外なゴールに到達する。読みようによっては、一遍のミステリーとして読むこともできないことはない。凝った仕掛けの紀行文だった。
 説明を分かりやすくするために、最初に目次を引用しておこう。

一枚の踏絵から
日記(フェレイラの影を求めて)
横瀬浦、島原、ロノ津
有馬、日之枝城
雲仙
弱者の救い―かくれ切支丹の村々―
父の宗教・母の宗教―マリア観音について―
母なるもの

 最初の<一枚の踏絵から>は、長崎を舞台にした紀行文だが、すでに何度も長崎を訪れた後に書かれており、何度も長崎を再訪するきっかけになった<一枚の踏み絵>のエピソードから始まって、<強者と弱者>という著者の関心にたどり着き、長崎への探訪が始まった過程が綴られてゆく。最初のこの一遍からして、すでに歴史探訪の形をかりた、著者自身の内面への旅となっている。著者の渾身の力作、小説「沈黙」の世界への、取材旅行の形をとった作品解説になっているのである。どのようにして「沈黙」の世界は、形をなしていったか、角度をかえて語っているといえばいいか。
 二番目の<日記>と題された文章も、長崎を舞台にした紀行であるが、探訪の目的はすでに一点に絞り込まれており、転びバテレンであるフェレイラの事跡をたどる旅へと純化し焦点を絞り込んだ旅となっている。
 三番目と四番目の<横瀬浦、島原、ロノ津><有馬、日之枝城>の2篇は、この本の中ではもっとも紀行文らしいドキュメンタリータッチの旅行記となっている。切支丹弾圧時代の殉教の史跡と、鎖国政策以前にオランダ貿易で栄えた史跡巡り、だが、紀行文の体裁をとっていながら、ストーリーは、次の展開へと自然に導かれて行く。
 この本の中で<雲仙>の一遍だけは、<能勢>という男を視点人物にした、三人称のフィクションの形を取っている。内容は紀行文だが、何故か三人称の形式となっている。著者自身が見聞きしたことを題材にした紀行文のはずなのに、意外の感じがぬぐえない。おそらくこの形式は読者に対する一種の意外性を期待した、手の込んだ異化装置なのかもしれない。ここでこの本の筋は大きく旋回し内面化のレベルが一段と深くなる。三人称はあるいは自分の世界へ沈みこむこ時のこの作者のお祓いの儀式なのかもしれない。何と繊細な自我なのだろう。
 最大の切支丹遺跡<雲仙>を展開軸にして、<弱者の救い―かくれ切支丹の村々―>から、<父の宗教・母の宗教―マリア観音について―>を踏み石にして、この紀行文集の内奥である<母なるもの>へと、内面への旅は深まって行く。
 この国の切支丹弾圧を、宗教戦争の視点でとらえたものを、まだ読んだことがない。転びバテレンや隠れ切支丹を、宗教戦争の犠牲者としてみる視点も必要なような気がするが、どうだろうか。遠藤周作にも、そのような視点は全くない。
 遠藤周作の作品の中には、どことなく紀行文的もしくは随筆的な記述が見え隠れするものがあるが、この紀行文は逆に、物語的な展開をもった、旅行記のスタイルを借りた自分探しの旅の物語といった内容になっている。
 爽やかな読後感とはいえないが、遠藤周作という個性的な作家の自分探しの旅は、思いのほかずしりとした深い印象を残す。力作「沈黙」に感動した人には、まだお読みになっていないなら角度を換えた姉妹編として是非お勧めしたい。観光旅行のガイドを期待される方には、お勧めしない、行くのが嫌になるかもしれません。