武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『人国記・新人国記』 著者不詳 浅野建二校注 (発行岩波文庫1987/9/16)


 県民性などという、地域風土が人格の形成に影響するという考え方の、古典的なお手本のような書物、何時ごろ誰が書いた物なのかよく分かっていないが、文体に統一性があるので特定の個人が記した物と言われている。交通の便がわるかった戦国時代以前の大昔、風土を根拠にして人間の性格描写を、このように多様に記述できたことに吃驚。
 江戸時代になって関粗衡が地形図をつけて内容を整理した改訂版「新人国記」よりも、元の「人国記」の方が何倍もオリジナリティがあり面白い。交通が発達した今の時代、還暦を過ぎても、行ったこともなければ、ましてその県民性など人柄の一端に触れたこともない地域がいくつもあるのに、考えてみればこれは凄いことだ。
 中には、当該地域の人々を怒らせるような、言いがかりのような記述もあるが、語り口にとぼけた素朴な味があり、淡泊な風味とでも言うべき嫌みのない文体が救いとなっている。相当に調べ事の好きな、人柄も悪くない御仁だったのだろう。けっこう肯ける点も多いので、何度手にとっても飽きない。
 66カ国の各論を前に置いて、最後に<余論>と題された、環境人間性形成論が総論としてついている。相当に明確な方法意識のもとに記述が進められたことがよく分かる。面白い人がいたものだ。
 ちなみに、私が生まれ育った<加賀国>と、終の棲家にきめている<武藏国>の記述と地形図とともに引用しておこう。

加賀国
 加賀の国の風俗、上下ともに爪を隠して身を秘かに持つ。中にも、江沼・能美かくの如し。石川・川北の郡は少し違ひて、気のびやかなり。蓋し武士の風俗大人しやかにありて、尖なる気なく、温和なりといへども、武士の上に秀づる事を差して願はず。唯畳の上にして、調儀を以て身上を上分になさんと思ふ気質の多きこと、百人に五十人かくの如し。
 譬へば他国に合戦亦は堺目論の軍ありといへども、吾が国を全うして出づることもなく、我に差し向かふものあらば、止む事を得ずして戦ふものなり。戦国の内とても、人の国を故なく奪はんとするは、盗賊の類なりと諸人覚悟を究めて、賢人風の形儀なる振舞なり。
 また諸事の道につき、吾が国より外に差して替る道理もあるまじきなどと、他を求むる気これ無き風俗にして、諸事に泥みやすく、何れの道にてもこれに従ひて学ぶといへども、やがてその気退屈して、半途より捨つるの類多し。さればその気を流通して、克己の工夫に力を入れずして、自然と怠りの気に馴れたるものなり。
 すべて諸事、この国になす処より外は、他にあるまじきと思ふ意地なくば、深く学ぶ志強かるべきゆゑ、天下の定規ともなるべき国風なるに、最も気質の斯の如きこと、浅ましき次第なり。

 少し当たって居るような、見当違いのような両方の気持ちになる、面白い指摘である。


武蔵国
 武蔵の国の風俗、闊達にして気広し。譬へば秘蔵の道具を過ちによって損ずる時は、その者の恐れ哀しむは尤もなるに、その主曾て後侮の気色なくて、結句それに恩を与へて、情けを深うする類の心なり。子細は秘蔵の器をたくみて割くべきやうなし。吾も人も過ちするは無念なりといへども、咎むるはまた此方の誤りなりと思案して、名人の風俗なり。これによって軍に合うて敗軍するといへども、敢へてその気を屈せずして、よく気を改めて、敗軍の士を集めて出陣するの類なり。
 凡そ気に乗ると気に後るるとは雲泥万里なりといへども、乗るも後るるも亦強ひて可なりと為しがたし。ただ道理に因る時は気に乗じ、不可なる時は己が非を知りて、承けて制するを上とす。然れどもこの国風は、最も潔き風俗なり。次に気広きを以て驕る気強し。口伝。

 最後に、口伝とあるのは、詳細は軍事上の機密に属することだから、口頭で子細を伝えるという意味らしい。口伝の中身を知りたく思うのは、私だけではないだろう。長らく絶版になったままなのが惜しい。