武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『日本詞華集』 西郷信綱・廣末保・安藤次男編(発行未来社)

 古代から近代までのこの国の詩作品を選び、1冊にまとめたアンソロジーとして、身近なところに置いておきたい本として、この本を凌ぐ本はまだ出ていないと思うので、お勧めしたい。私が持っているのは1958年発行のものだが、当時としては大変に立派な装丁の本で、値段は1000円とかなり高い本だった。最近、復刊されて最寄の図書館に並んでいたので、さっそく借りてきた。復刊には、西郷信綱のあとがきが追加されたほかは、内容は全く同じ、定価が6800円に変っていた。若干高い気もするが、盛りだくさんの厳選された内容からすると決して高くはないと思う。 (画像は復刊本の新しい装丁、初版は紫色の布の装丁だった)

 内容は、古代の詩歌のはじめから、1930年ごろまでの近代までを、歌謡、和歌、連歌俳諧、近代詩、短歌、俳句に分類、古代、中世、近世、近代、の四つの時代に区分、時代の詩的表現として評価できる作品を選出して整理したもの。詩的表現を幅広くとらえて、意外な作品を含んでいるところが面白い。
 私が使ってきた感じでは、気になって本書を辿ると、何かで引用されている作品は、可なりの割合で本書に載っていることが多かった。今では調べごとはインターネットが便利だが、詩作品の検索は、本書が可なり役に立っていた。また、この国の詩歌の流れを概観するのに、本書は手ごろで扱いやすかった。ふとした折、気になる歌人俳人の名前を辿り、選び抜かれた詩編に目を通すと、いつも軽い満足感を得られたものだった。
 このような自国の詩作品の通史的なアンソロジーが、書棚のどこかに置いてあるということは、決して悪趣味なことではないと思う。口ずさみはじめて、途中で先が出なくなった時、引っ張り出して記憶の助けになる。最初にこの本が出て、はや半世紀になるが、一冊本でこれほどよくまとまった本は他にはまだない。是非手にとって見てもらいたい。この本は借りて読む本ではなく、手元に置いておきたい本。
 内容が概観できるので、目次を引用しておこう。

◎古代篇
<歌謡>
記紀歌謡、風土記、神楽歌、催馬楽歌、雑(琴歌譜・佛足石歌・百石讃歌・東遊歌・風俗歌・土佐日記
<和歌>
万葉集古今集伊勢物語、後選和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集金葉和歌集、詞華和歌集、千載和歌集和泉式部紫式部
◎中世篇
<和歌>
新古今集西行、建禮門院右京大夫藤原定家源実朝百人一首玉葉和歌集、風雅和歌集、正徹
連歌
菟玖波集、竹林抄、新撰菟玖波集、水無瀕三吟百韻、宗祗発句、犬筑波集
<歌謡>
梁塵秘抄、唯心房集、田植草紙、狂言小歌、室町時代小歌、閑吟集
◎近世篇
俳諧
蕉風以前、芭蕉、蕉門、蕪村、一茶、天明以後
<和歌>
賀茂真淵、香川景樹、橘曙覧、良寛、木下幸文、平賀元義
<歌謡>
隆達節小歌、山家鳥蟲歌、松の葉、落葉集
◎近代篇
<近代詩>
小学唱歌集、於母影、北村透谷、宮崎湖處子、国木田独歩島崎藤村土井晩翠与謝野鉄幹、中学唱歌薄田泣菫蒲原有明上田敏、伊良子精白、河合醉茗、岩野泡鳴、森鴎外北原白秋三木露風石川啄木、木下杢太郎、永井荷風高村光太郎竹友藻風、日夏耿之助、山村暮鳥萩原朔太郎室生犀星大手拓次千家元麿佐藤惣之助堀口大學西条八十佐藤春夫、吉田一穂、宮沢賢治、竹内勝太郎、萩原恭次郎梶井基次郎伊藤整北川冬彦富永太郎、田中冬ニ、三好達治丸山薫草野心平西脇順三郎中野重治小熊秀雄伊藤静雄井伏鱒二中原中也立原道造、倉橋顕吉、金子光晴原民喜
<短歌>
与謝野鉄幹与謝野晶子正岡子規伊藤左千夫長塚節石川啄木若山牧水、島木赤彦、斉藤茂吉北原白秋前田夕暮吉井勇、木下利玄、中村憲吉、古泉千樫、折口信夫会津八一、窪田空穂、川田順土屋文明、吉野秀雄
<俳句>
正岡子規内藤鳴雪河東碧梧桐高浜虚子村上鬼城、渡邉水巴、飯田蛇笏、原石鼎、前田普羅、尾崎放哉、水原秋櫻子、山口誓子、富安風生、芝不器男、日野草城、杉田久女、川端茅舎、松本たかし、中村汀女中村草田男石田波郷加藤楸邨、石橋秀野

 近代編が半分以上のページを占めているが、近代以前が物足りない訳ではない。むしろ近世以前の編に3人の編者の情熱と見識を感じるほど近世以前が充実しているのが本書の特徴。
 初版にはなかった西郷信綱の復刊本の<あとがき>を全文引用しておこう。これを読むと、生き残っている編者の編集意図が分かり、なるほどと納得し、いっそう愛着がわいてくる。

復刊本へのあとがき
 この『日本詞華集』は一九五八年(昭和三三年)つまりほぼ半世紀ほど前、未来社から出版されたのだが、なぜだか大して日の目も見ずに埋もれてしまっていたのである。編者は安東次男・廣末保・西郷信綱の三人。ところが三人のうちほんの少し年上の私だけが皮肉にも生き残り、安東さん廣末さんのご両人は無念にも、もうあの世の人になってしまわれた。この本の再出発に当たり、私がひとりこうして前に出て新たに筆をとるのも、そのせいだと御了解いただきたい。
 だが実は、それだけではない。この本は何と、前書きも後書きもなしに出版されたのである。本文を充実させるのに全力を尽くしてしまい、それらをものする余力が三人とも、もう無くなっていたためらしい。現に、これはそれほど肉体的・精神的なエネルギーを要する困難な仕事であったと今でも回想する。だから私のこの一文がその欠を補う序文めいた形になるのを、どうかお許し願いたい。
 本書の出る数年前(昭和二九年)に、高村光太郎編『日本の詩歌』が出ており、そこで批評家の山本健吉氏が「日本の詩と詞華集」と題し、次のようにずばり発言していたのを覚えている。「私がつねづね座右に欲しいと思っているものに、日本の詞華集がある、云々」とし、さらに英・仏・独のアンソロジーに言及し、「それが日本に一つもないのは、詩人や批評家や国文学者たちの大きな怠慢だと思える」とし、さらに「松の夢みている日本詞華集は、短歌と俳句だけが大きな部分を占めるようになってはいけない」とも、言ってのけている。これは六百人を越える人の句と歌を収めた『句歌歳時記』という四冊本をまとめようとしていた御本人の自己反省とも受けとれるが、他方、私たち三人を強く刺激してくれる一文だったのも否めない。
 「詞華集」の発生は紀元前のギリシャにあり、語源的にいえばanthos(花)とlegein(集める)とが結びついたもの、それがやがてラテン語となり、さらに近代化された英・仏・独語等の欧州諸国語で、詩人はむろん詩に興味をもつ者にも不可欠の書である「アンソロジー」(anthology)として拡がっていったという歴史があった。東洋の私たちは、それを「詞華集」と呼ぶに至ったというわけである。
 では私たちがこの「日本詞華集」という新たな名のもと、どのように自国の詩歌を美しい花束として独自に組織することができているかどうかが問題である。最初の古代編でいえば、「歌謡」の項で「記紀歌謡」などとともに、なかなか接触できぬ「神楽歌」や「催馬楽歌」や「土佐日記」の舟暇等をも採取したこと。そしてなかでも注目していただきたいのは、「風土記」の項で「出雲国風土記」の「国引き」詞章を取り上げた点だ。日本海のかなたの国々を四度にわたり、「網打ちかけて国来国来」と出雲の国の方へ引き寄せたという、記紀や万葉などにも類のない独白な詩的詞章である。
 また「むかし、男ありけり」で始まる「伊勢物語」という歌物語五編を、三十一文字の和歌だけでなくそのまま取り込んだのは、いささか次元を異にするもっと広い世界にも眼を向けようという志向のあらわれに他ならない。それが一番顕著になるのは、むろん近代編である。宮沢賢治の「春と修羅」をはじめとし、梶井基次郎の「檸檬」や「蒼穹」とか、あるいは富永太郎の「鳥獣剥製所」とか、むしろ散文詩ともいうべき作までが取り込まれている。
 「歌謡」についても、中世編では「梁塵秘抄」をはじめ「唯心房集」「田植草紙」「狂言小歌」「閑吟集」その他多様な集をあげている。
 近世編の見るべき点は、二十頁にもわたる「芭蕉」の項目である。一人でこれだけの頁を占めた作者は、むろん他にはいない。芭蕉こそ日本の詩歌史の一つの頂点に立つ存在だということを示すものといっていい。そこでは、たんに発句だけでなく、「冬の日」に始まる俳諧七部集がもとより大きな意味をもつ。「おくのほそ道」も無視できぬ。
 さてこの「芭蕉」の項目を主として担当したのは、安東さんと廣末さんである。芭蕉評釈史上の名著とされる『風狂始末』(ちくま学芸文庫)の著者である詩人の安東さんと、『可能性としての芭蕉』(御茶の水書房)や『芭蕉俳諧の精神と方法』(平凡社)等の批評家として知られる廣末さんとである。近世の文学に疎い私などでも「新らしみは俳諧の花なり」(「三冊子」)という芭蕉の言葉には、「花と、面白きと、珍らしきと、これ三つは同じなり」(「花伝第七別紙口伝」)という世阿弥の言葉と重なりあっているとされるのに、どういう意味が蔵されているかについて『斎藤茂吉』(朝日新聞社)のなかで考えたことがある。その根底には、ジャンルは違うものの日本の詩歌の歴史には、「芭蕉から茂吉へ」という見地から捉えねばならぬものがあると思っていたからである。本書の近代編の「短歌」の項目を見ても、一人の歌よみで百首以上の作が採られているのは茂吉だけなのも、偶然ではあるまい。
 他方、歴史をさかのぼっていけば、芭蕉のかなたにいる真の詩人と呼べるのは柿本人麻呂ではなかろうかと推測される。『万葉集』の項で採られているいかにも宮廷詩人らしい吉野宮や近江荒都の歌とかのほかに、「妹が門見む 靡けこの山」という結句をもつ「石見国より妻に別れて上り来る時の歌」とか、「妻死せし後、泣血哀慟して作る歌」といった類の、己の生をじかに詠じた歌群がある。アイルランドの詩人イエーツの「人生が悲劇だと心にわかった時にのみ、私たちは生きることを始めるのだ」という言葉は、むろん現代に関して言ったものだが、宮廷詩人である人麻呂が一人の古代人として己の生の悲しみについてこのように優れた長歌をものしているのに、私は一種の驚きを覚える。
 その人麻呂や芭蕉や茂古(あるいは宮沢賢治)の作とを、即座に同時に読めるのだから、この『日本詞華集』はまさにアンソロジーとしてかなり優れたものだといっても、決して不遜ではなかろう。また近代編で取り上げられている多くの詩人・歌人俳人のどういう作品が選ばれているかを見るのも、楽しみの一つであるうと思う。
 半世紀前とは違い日本でも、こうした構造をもった「詞華集」を座右に置いておきたいと思っている人が、ぐんと増えてきていると思う。安東さんと廣末さんの霊が、「どうだ、この詞華集すてきだろう」と言わんばかりに現われて、そこに立ってくれている姿が、私には彷彿と見えてくる思いがする。

 この仕事は、三人で箱根をはじめあちこちの宿に泊まって励みはしたけれど、なかなか終わらず、最後は未来社近くの空き家にもぐりこんでやっとケリがついたという経緯がある。その間、私たちのこの難渋した仕事ぶりを、やさしく見守ってくれた未来社の前社長故西谷能雄さんに先ずは感謝したい。そして長期にわたった日々をずっと世話をしてくれた、その時の編集部の松本昌次さんの御苦労にも心からお礼を中し土げる。
 なお最後に、「書物復権」の一冊として本書を選んでくださった社長の西谷能美さんにも深く感謝する。

 二〇〇五年四月二五目
                                        西郷 信綱