武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 『デジデリオ・ラビリンス−1464、フィレンツェの遺言』 森下典子著 (発行集英社1995/4/30)


 デキゴトロジーから育った書き手の一人森下典子さん、「典奴どすえ」をはじめとする作品で器用で軽いエッセイストとばかり思っていたが、この本を読んで、考えを改めた。
 人の前世を透視するというオカルトっぽい導入からはじめて、鑑真和尚とともに中国から渡ってきた男や、15世紀にフィレンツェで活躍した天才彫刻家が前世と指摘されて、疑りながら次第に指摘された人物調査にのめり込んでいき、とうとう現地にまで出かけていくという、奇妙な味のする心の旅行記、読み手の好奇心をかくも見事にとらえて離さない本も珍しい。少なくとも、私はもろにひっかかった。
①話のつなぎ方、展開の仕方がじつに上手い。著者自身が言うように、<そんなバカな>という気持ちをベースにして、<もしかしたら>という好奇心と怖いもの見たさを動力源にして、ぐいぐいと読む者をひっぱって最後まで離さない。素晴らしいストーリーテリングである。
②デジデリオと言えば、澁澤龍彦が紹介した17世紀バロック期の「世界の終わりの画家」モンス・デジデリオしか知らなかったが、こちらは15世紀フィレンツェの天才彫刻家デジデリオ・ダ・セッティニャーノのこと、ネット上で作品を検索したら、何とも繊細優美なレリーフや彫刻作品がヒットした。著者は、文章表現に全力を傾注、著作の中から一切のビジュアルを排除した潔さが素晴らしい。文章だけで鮮やかに最後まで引っ張っていったところが天晴れ。

③全体は3章に分けられていて、1章が日本における調査活動と思索、2章がイタリアとポルトガルの調査旅行、3章が帰国してからにまとめの章、とりわけ旅行中のフィレンツェポルトの情景描写の切れが鮮やか、視線の投げかけ方に目が覚める思いがする。森下さんはものがよく見えるいい目を持っているんだなと感心した。
④記述の大半をイタリア・ルネサンスの狭い区域に絞っているので、一般的なルネサンス文献を読むよりもはるかにリアルで身につまされる。こういうヨーロッパ史への接近の仕方もあるのかと吃驚させられた。後ろの参考文献を見ると、蘊蓄の傾け方を、よくこの程度にとどめたとその自制ぶりにも感心した。調べたことの中から、ほんの一部分をサラリと手品のように取り出す手並みの鮮やかさは、立派な才能と言っていい。 (左の画像はネット上で見つけたデジデリオの彫刻「マリエッタ・ストロッツィの肖像」繊細な表情と気品の表現が素晴らしい)
 ⑤無い物ねだりだが、はじめの頃にでてきた<鑑真和尚とともに日本に渡ってきた中国人>のことを追求しなかったのはどうしてだろう。この本の続編として、中国版ラビリンスを書いてもらえないだろうか。この国の歴史の深層に接近できるかもしれないと言う期待が膨らむではないか。
 イタリア美術好き、イタリア旅行好き、占い好きの人に、一風変わった読み物としてお勧めしてみたいが、でも誰が読んでも面白いに違いない。