武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 柴田天馬訳の聊斎志異について(3)

 興味のある人について調べていると、どうしてもその人の肖像が見たくてたまらなくなる。柴田天馬さんは、どんな顔つきの人だったのか。服装や、声の調子まで気になってくる。大佛次郎氏の随筆によると、「やせた瀟洒とした好紳士であった。身だしなみよい地味な洋装がよく似合った。」とある。探していたら、修道社の定本聊斎志異第1巻目に、訳者遺影として、掲載されていたので借用しよう。勝手に想像していたイメージにかなり近かったのでホッとした。
 さて、戦後の柴田天馬全訳の聊斎志異について調べていたら、大佛次郎氏の面白い文章に出会ったので一部紹介したい。好意的な人物評は、読んでいると温かいものが伝わってくるようで気持ちいい。創元社から全訳版が出るようになった経緯がわかるところがあった。

 第一書房の二度目の『聯斎志異』の初巻が出て風俗上の理由で発禁になった直後のことで、出版が出来なくとも是非、翻訳を続けて完成しておいて頂きたいと、私はしつこく話して老人を苦笑させた。柴田さんは、そうしますとは言わなかった。すると別れて無音に過ぎて十年経ってから大連から毛筆の葉書で、貴下がすすめてくれたから、その後、閑を見て聯斎を続けていると知らせがあった。
 それから戦争となった。終戦満州の柴田さんのことを気遣っていると山口県から葉書が来て、帰国したと知らせがあった。私は直ぐよろこびの電報を打ち、聊斎の原稿を持ってお帰りかと同時に尋ねた。原稿はあると返事があった。私は苦楽社から出すように話をすすめた。リユックサックーつになった柴田さんも上京して来た。
 聯斎の原稿は普通の書類と同じ扱いで大連を出る時、没収されたが、連載した満鉄の雑誌が図書館か古書店にあるだろうと言うので、現在の鎌會図古館長沢寿郎君が戦災後の街を探して歩いてくれて、整理と校正に献身してくれた。その内に苦楽社がつぶれかけた。
私は困って小林秀雄を訪ねて創元社から出してもらうよう頼んだ。彼の親切で柴田天馬訳「聯斎志異」の全巻が初めて世間に送り出された。沢君が相変らず難かしい校正の労にあたり、創元社のあとでは、修道社の秋山君が立派な本を出してくれた。(キツネの来る書斎/講談社文芸文庫/旅の誘い)

 中国で翻訳原稿をすべて没収されたこと、多くの人々の助けがあり、ようやく全訳版の出版にこぎつけたこと、背後にあったエピソードを知るにつけ、幾多の困難を乗り越えて全訳版が出来上がった。
 話は変わるが、ルビについても検索していたら、全く知らなかった史実に遭遇して吃驚したので追加したい。

 1938年の内務省による小活字・ルビ禁止政策は,日本近代史の中へ位置づけてはじめて正確な理解が可能になることを示した。具体的には,
(1)内務省政策はもっぱら活字の大きさを問題にしてのルビ禁止であったが,この当時,近視が国防上の不利益であるという認識,予防策の策定は他の官庁にも見られる。
(2)そのうち,厚生省は同年設立の新しい官庁であるが,出自をたどると,内務省衛生局を母体とし,内務省とは密接な関連のあった官庁であり,陸軍省の構想と圧力によって設立を見た官庁であって,設立構想は,近視眼の増加を含めた「壮丁体質の悪化」による徴兵検査合格率低下への懸念に発していた。
(3)厚生省の指導下に国家的組織として「視力保健連盟」が1938年9月26日に成立し,月刊誌の発行を含む全国規模の活動を展開していた。
(4)同連盟と近視予防運動にとって近視は第一義的に,国防上の問題として認識されており,ルビを含む小活字の問題も,近視予防運動の立場から重要であり,近視の原因の一つと認識されていた。これは当時の行政と軍に共通した認識である。
(5)内務省要綱はこのような文脈において,厚生省との連絡のもとに成立した。
(6)したがって,近視予防運動の一環としての内務省要綱のルビ・小活字項目は,第一次大戦以降意識され,準備されてきた総力戦体制の整備の一環として位置づけられ,この時代の急速な戦時体制化を象徴するできごとの一つであり,軍事的意思が言語政策を併呑したところに成立した施策であった。(ルビ問題に見る日本語と政治/『國語學』2000年9月号/仲矢信介)

 1938年(昭和13年)に、国防上の不利益と、徴兵検査合格率向上を理由にした、少活字とルビを追放しようという政策が、官庁の中の官庁、内務省の政策だったとは、吃驚した。活版印刷や新聞印刷のコスト削減の要請に答えた経済的な理由だとばかり思っていていたのである。
 wikipediaの<振り仮名>の項目には、次のような説明がある。

 戦後になって作家の山本有三により「振り仮名がないと字が読めないようなのは恥ずかしいから振り仮名を全廃しよう、そして、振り仮名が無くとも読める字だけで書こう」との提言がなされた。これには振り仮名入り活字などの費用を抑えられることから印刷所なども同調し、さらに当用漢字表において振り仮名を使用しないこととされて使用が減った。

 いずれにせよ、外国の文化を柔軟に受け入れつつ発達してきたこの国の文字表現ににとって、ルビ(振り仮名)は非常に便利な補助表現法だったことは間違いない。
 最後に、現在刊行中の聊斎志異について、全訳本については次の2つがおすすめです、
柴田天馬訳は、「ザ・聊斎志異大活字版全1巻」(第三書館)
作者手稿本によるものとしては、正確で平易な日本語訳の「中国怪異譚聊斎志異全6巻」(平凡社ライブラリー)。