武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 「嘔吐」ジャン・ポール サルトル著(人文書院) 今月が生誕100年との記事に触発されて

toumeioj32005-06-29

 若かった頃、ほとんどの書店にこの人文書院サルトル全集が必ず何冊かは置いてあった。実存主義に興味がなくても手を伸ばせば自然に触れると言う感じで、たいがい数冊は読んだか見たかしたことのある人が多かった時代もあったのだ。古い話でゴメンナサイ。
 ベトナム戦争とその反対運動が盛り上がっていた頃(これも歴史教科書の世界か)まで、マスコミにも良く取り上げられ知識人の典型のような感じで、その発言や行動が報道されることが多かった。行動的な哲学者として今でも印象に残っているのはそのため。ボーヴォワール女史とのラヴストーリーも印象に残っている。調べてみると1905年6月21日パリ生まれとある。なくなったのは1980年4月15日パリとある。75歳でなくなるまで、ひたむきに全力疾走を持続したような生涯を送った人と言う印象が強い。哲学者にして作家、劇作家、評論家でもあり、世の中の出来事にも積極的に発言するいまでいうマルチ人間の一人だった。
 さて、哲学書の方は難しそうだったのでしり込みして、最初に手にした本がこの「嘔吐」だった。小説の題にして嘔吐、何と刺激的な題かと感心して、内容に興味をもった。読んだ印象は、はじめはよくわからなかった。
 主人公であるロカンタンの日記の形式をとった、一人称の小説、身の周りの些細な出来事を執拗に取り上げ微細かつ明晰に描写してゆくところから、少しずつ主人公の置かれた極度に孤独な孤立状況が浮かび上がってきた。読み終わって、どこが実存主義なんだという肩透かしをくったような感じを受けたことを思い出した。
 極度に孤独な鋭い棘の先端のようなところから、ブーヴィル(泥の街)という小説の街の人々を皮肉にみつめる批評的なまなざしが、当時の若かった私の気に入ったところだった。アニーとのラヴストーリーは、歯がゆくてイライラした。
 以前の印象を拾い出してみたが、今読むと、どう感じるかな。改めて、ちゃんと読んだ後で感想を書いてみたい。今日のところは、生誕100年と聞いて思い浮かんできたことを書き並べてみた。