武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 朝のワンプレート(27)


 先日亡くなられた音楽評論の先駆者、吉田秀和氏の追悼番組(NHKEテレ吉田秀和さんをしのんで)を見ていて、晩年までの30年間同じものを食べ続けてこられたという朝食のシーンがあったので関心を惹きつけられた。
 番組のナレーションによれば献立は、「三分半茹でた半熟卵1個に、ヨーグルトとコーンフレーク、ドイツパン(多分ライ麦パンのことだろう)、そして紅茶」、画面から分かることも同じ。半熟卵を手作りされているシーンは、手慣れた感じのする印象的な良いカットだった。画面からは、ライ麦パンに合わせた何かのジャムらしきモノの小瓶が見えるが中味は分からない。洋食スタイルで、使い良さそうなスプーンとナイフが添えられていた。(画像はそのときの吉田秀和氏の朝食シーン)
 このシーンの何に惹かれたのだろうか。スタイルとして出来上がった朝食は、その人のライフスタイルもしくは人生の原型そのものなんだなと言う印象を受けた。30年以上同じ朝食を食べ続けて飽きないだけでなく、体調を維持してゆく上でも準備する手間からも、一日の始まりとして精神的なバランスを考えても、変える必要を全く感じない食べ方として定着した定番献立には、思わず眼を惹きつけるような説得力があった。また背景のダイニングにまで進出してきている著作の書棚には、さもありなんという実感が湧いた。
 吉田氏は、若い頃から全身で西洋音楽に惹かれ、西洋音楽を通して自己の表現を磨き、自分の世界を築き上げてきた人だったんだな、と言う感慨が、その朝食スタイルを見て、改めて湧いてきた。そうか、日本人にはやや癖のあるライ麦パンが朝食のベースだったのか、そこまでドイツ音楽と生活を共にされていたんだと言うことが、しみじみと納得できたことだった。この完成された朝食を食べることのなくなった吉田氏のご冥福をお祈りしたい。
 さて、こうして長々と朝食についてお喋りを綴ってきているが、長年かけて出来上がったその人の朝食スタイルについては、その人の人生そのものの一部とも言えるので、安易に批評などできないなという感想を改めてもった次第。朝食は本当に奥が深い。ブリア・サバランではないが、朝食を語ることは、その人の人生を語ることに近しい気がした。

 
 前置きはこれくらいにして、朝の献立を紹介してゆこう。我が家の朝食は、一日として同じことはない(笑)。気ままなことこの上ないが、ご覧のようにそのスタイルは変わっていない。ご飯に味噌汁、タンパク質といろいろな野菜と牛乳という枠組みはほとんど変わらない。


5月某日の朝食(上) ・味噌汁(油揚げ、大根、自家製乾しエノキ)・ご飯・ブロッコリーの温野菜・カブの甘酢漬け・小松菜のおひたし・トマト・カブの葉のおひたし・オクラの温野菜・大根と鶏挽肉の旨煮・白菜キムチ・たくあん・プレーンオムレツ・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳


5月某日の朝食(下) ・味噌汁(豆腐、油揚げ、大根、自家製乾しエノキ)・ご飯・カブの葉のおひたし・トマト・オクラの温野菜・にんじんの温野菜・水菜のおひたし・もやしのおひたし・カブの甘酢漬け・カボチャの温野菜・サヤエンドウの温野菜・厚揚げ・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳