武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

『死にゆく人の17の権利』デヴィッド・ケスラー著/椎野淳訳(発行集英社) 現代における人の死についてやさしく毅然とした人間的な立脚点を確立した書、人間性回復の書。イデオロギーや宗教の傾向的色彩を帯びていないので安心して死について考えることが出来る死者の人権宣言。

toumeioj32005-07-23

 この本の「はじめに」の断り書きの中で著者は、この本が書かれた理由を説明している。そこを読むと人の死が時代の刻印を穿たれるということがわかる。現代という時代が、人の人生から死を疎外する時代だということ、本書が書かれた理由もそこにあるということがよく分かる記述があるので、本文を引用しよう。

 社会と医療のシステムは、死の過程から私たちを締め出してきた。二十世紀に入った頃、死は、せいぜい医者の往診があるくらいで、家庭内で起きる、誰もがよく知っている自然な生活の一部だった。しかし、十九四〇年代から五〇年代までに、死には、病院という新しい居場所ができた。そこでは、医師が一度に何人もの患者を診察し、一方では集中治療室において、死にゆく人の治療に最新の技術が使われるようになった。一九七〇年代に、死は共同体から、家庭から、そして私たちの一人一人から排除されてしまった。
 一九八〇年代、死は、冷たい人間味のない経験になった。多くの人が、愛する人の最後の日々に、そばにいる機会を奪われた。ホスピスの運動が始まり、発展したのは、この時期だった。最後の日々を家族や友達に囲まれて過ごすために、家に帰される人の数は、増えていった。

 これはアメリカ社会で起きた社会現象の要約だが、この国でも同じようなことが起きているのは、ご存知だと思う。誰かがかつて指摘していたが、死がいつの間にか、市民社会の人々の目に触れる領域から隔離され、病院の奥深くに囲い込まれてしまい、目に触れるのは霊柩車と葬儀の儀式性、死の直接性を失った社会は、人の世としての奥行きを喪失したと言う主張を読みなるほどとうなづかされたことがある。
 この本の著者は、そんな人間味のある死を見失った時代に、NPOとしてホスピス運動を推進した経験者。自らも豊富に死にゆく人と関わった経験がある故に、内容がきわめて具体的、おだやかで落ち着いた説得力があるのに感心した。日本語の訳文もよくこなれていて読みやすい。
 第1章が「生きている人間」、第2章が「感情の表現」、第3章が「決定への参加」、この三つの章では、死を迎えつつある人間は、あくまでも人間であるという主張が、力強く語られる。

*生きている人間として扱われる権利
*希望する内容は変わっても、希望をもち続ける権利
*希望する内容は変わっても、希望を与えられる人の世話を受け続ける権利
*独自のやり方で、死に対する気持ちを表現する権利
*自分の看護に関するあらゆる決定に参加する権利
*必要なことを理解できる、思いやりのある、敏感な、知識のある人の介護を受ける権利
*すべての疑問に正直で十分な答えをえる権利

 この部分がおそらく本書の白眉だろう。死に行く人の人権と人間としての尊厳を切々と訴えて、視野を一気に広げてくれる感じを受けた。この部分だけでも、本書は読まれる価値がある。
 第4章が「痛みの生理」、第5章が「痛みの感情」、この章は死に行く人の痛みからの解放を主張する。権利内容としては、次の項目が該当するだろう。

*治療の目的が「治癒」から「苦痛緩和」に変わっても、引き続き医療を受ける権利
*肉体の苦痛から解放される権利
*独自のやり方で、痛みに関する気持ちを表現する権利

 著者の経験から、現代の医療が延命を最大目標として、苦痛緩和に熱意を欠く場合、患者の人間としての苦しまないで死んでゆく権利をないがしろにする場合があることを、強く主張する。日常的にも、医者へのわれわれの不満は、痛みにたいする共感が乏しいこと、人生の最後が激痛だとしたら、思うだけでもぞっとする。安らかな死を願わない者はいない。私は、ここまでの内容で、十分に満足できた。権利として主張する理由も、文句なく納得できる。
 第6章が「精神性と死」、第7章が「子供と死」、第8章が「死の生理」、第9章が「台風の目の中で死ぬこと」、第10章が「孤独で死なないこと」この5つの各章が主張する権利は、次の項目に該当するだろう。

*精神性を追求する権利
*死の場面から除外されない子供の権利
*死の過程を知る権利
*死ぬ権利
*静かに尊厳をもって死ぬ権利
*孤独のうちに死なない権利
*死の過程を知る権利
*死ぬ権利
*静かに尊厳をもって死ぬ権利

 肯けはするが、それほど身につまされるような感じは受けなかった。言葉では出てこないが、宗教が伴う精神性の領域のような気がした。中でも、「死の場面から除外されない子供の権利」は、傾聴に値すると思った。人によっては、これらの精神面の記述に惹かれる方もいるような気がする。論旨は明快、読みやすい。
 12章が「遺体」、そして「終章」、これに対応する権利は、

*死後、遺体の神聖さが尊重されることを期待する権利

 最後に、死が死に行くものと残されるものにとっての癒しになることを願って、この本は終了する。提示されている17項目の中には権利としてはどうかな、と思った項目もあるが、概ね妥当というか、いやむしろ、もしないがしろにされているなら、重大な権利侵害、人権無視と思われる項目の方が多かった。患者のご家族ので看病にあたっておられる方、生き死に関心のある方、ぜひ一読をおすすめしたい。
 死に行くものと生き残るものの双方にとって、死の体験が心の癒しとなるならば、死はまんざら捨てたものでもないような気がする。この本は、そんな願いを実現に導くために執筆されたのだと思う。難しいこととは思うが、手がかりになることは確かだ。