武蔵野日和下駄

10歳から続く乱読人生、年季の入った活字中毒、頭の記録メディアがダウン寸前、記憶のダイエット装置

 朝のワンプレート(3)

 買ってきた食材を効率よく使い切るにはどうすればいいか。食材の使用量を指示してある既存のレシピに従うと、必ず何かの食材が余ってしまう。中途半端に余った食材ほど始末に困るものはなく、うっかりすると冷蔵庫の隅っこでミイラ化してしまいかねない。これがレシピに疑問を抱くようになったきっかけだった。
 悩んだ末に思いついたのは、仕入れてきた食材は、取りあえずその日のうちに軽く下ごしらえしてしまい、そのままでも食べられるようにして保存すること。忙しくて手が付けられなかった物も、次の日のうちに下ごしらえして冷蔵してしまう。このやり方になってから、食材が余って始末に困ることは一切なくなった。無駄が出ないというのは気持ち良い。
 味付けなしの下ごしらえでは済まないものは、一両日のうちに調理してしまうこと。そうすると、あら不思議、冷蔵庫の中はいつでも食べられる状態で保存された、手作りの保存食品でいっぱいになてしまった。でもこれは料理とは言わないかもしれない(苦笑)。
 書店にいってもネットのなかでも、料理と言えば9割以上がレシピ集だ。色とりどりのレシピだらけ。わが家にも何冊もレシピ集はあるけれど、そのほとんどは役に立たなかった。なぜか。料理本にしても、料理雑誌にしても、毎月何冊の新刊が出ているのだろう。あれらの無数のレシピは、どのようにして作り出されているか。
 私的に言えば、あれら無数のレシピは、言わばレシピのためのレシピ、言い方を変えれば出版ビジネスのためのレシピであって、著者や編集者が自分で作って毎日自分で食べている料理ではあるまい。自分で食べ続けて確かめていない料理を、さも美味しそうに作り方を添えて商品化する行為、それは商業主義といわれても仕方ないのではないか。
 ほとんどのレシピ本が、家庭料理を実践するときに役に立たない理由はこれだろう。ビジュアルで美味しそうに見せる工夫を十分に凝らしてあるので、写真集として見て愉しむためのものと割り切ってしまうと、手に取ってみるのも楽しい。
 これまでのほとんどの料理本は、作る料理に眼が行くあまり、残った食材や冷蔵庫の使い方や、調理の手間について、総合的な配慮に欠けているものが多かった。豪華なご馳走を一品つくって、それで草臥れきってしまっては、台所を預かる者としては失格ではなかろうか。
 それではどんなレシピともほぼ無関係な、わが家の朝の献立を紹介しよう。


3月某日の朝食(上) ・ワカメスープ(ワカメ、切り干しダイコン、春雨、干し椎茸)・ご飯・蕪の葉のおひたし・人参の温野菜・新玉葱の白キムチ・ブロッコリーの温野菜・赤蕪の甘酢漬け・アスパラガスの温野菜・エリンギと油揚げのキンピラ・モヤシのおひたし・大豆とヒジキの煮物・豆鰺の甘露煮・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳

3月某日の朝食(下) ・味噌汁(ジャガイモ、タマネギ、切り干しダイコン)・ご飯・菜の花のおひたし・新玉葱の白キムチ・蕪の葉のおひたし・人参の温野菜・ブロッコリーの温野菜・アスパラガスの温野菜・赤蕪の甘酢漬け・大豆とヒジキの煮物・蕪の酢漬け・オムレツ・オクラの温野菜・画像にはないがコーヒー入りホット牛乳

(追伸)非常に役に立ってぼろぼろになってしまったレシピ集があったという話を、知り合いから伺った。新しい所帯をもって藁にもすがる思いで手にしたレシピ集が、たまたまラッキーにも役に立ち、大変に助かったという話だった。スピード料理と銘打った本だったという。役に立つレシピ集もあると言うことを優れたレシピ本のために付け加えておこう。